フィリピーナと楽しく過ごすための情報満載  
  マニラ絵日記
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1月20日
フィリピンエアーラインPR431便に乗るためには、朝の5時20分には家を出なければいけない。
旅行の当日なのに、なかなか目がさめない。
這いずるようにベットからでた。
寒い、というより痛い。
今年は寒い日が多い気がするが、今日は特に寒いと感じる。
7時間後には気候が180度変わっている事を思えばできる限りの薄着をして出かけたかった。
しかし、この気温では向こうへ着く前に凍死してしまうかもしれない。
しかたなく、ダウンジャケットを着込む事にした。
あとで確実に荷物になってしまうのだが、風邪をひいてはだいなしだ。
防寒着は、この時期にフィリピンに行く事のわずらしさの一つだと思う。
そんな事で手間取ってしまい、約束の電車に間に合うぎりぎりに家を出た。
多少あせりながら、懸命に歩き、駅に約束の1分前についた。
副長も同じ事に手間取のか、30秒前に駅に到着。
電車に飛び乗る。
なんとか、当初の予定が消化できた。

事前のミーティングでは、空港までバスで行くつもりだったが、二人ともぼやぼやしていて、
チケットが取れなかった。
まあ、電車の方がタバコも吸えるので(スカイライナー内だけだが)良しとした。

旅行では、時間を守る事が結構重要な事であると思っている。
まして、最初の約束の時間であるだけにこれを守れた事は、小さな事だが重要な事だ。
時間の割りに込んでいる電車が出発した。
これからの5日間が動き始めた。

私鉄とJRを乗り継ぎ日暮里駅へ。無事スカイライナーの乗車券を購入する。
多少時間があるので朝のコーヒータイム。
待合室には、たくさん人がいた。
やっと空いている席を見つけほっと一息。
「コーヒーってタイだと女性に向かって言ってはいけないコトバだったな」とボーっと考えていた。
と、やにわに副長が席を立つ。
引きずられるようにして、ホームへ。しばらく待って、スカイライナーが駅に到着。
当然、喫煙席へ。煙っている。大げさに言えば向こうが見えないぐらい。
怯まずに、自分たちも煙を濃くする行為に参加する。

最近は禁煙エリアが異様に多い。
タバコを止めなさいとのサジェストなのだろうが、一向に止めようとは思わない。
止めるきっかけとして、一箱いくらになったらタバコを止めるか。(健康のためとは思わない)
私の父は、1000円でも止めないという。
副長は、いきなり(じょじょに値上がりするのではなく)1000円になったら止めるという。
私は、結局いくらになってもやめないだろうな。

煙るスカイライナー内で、副長が盛んに中国の話をする。
我々の行き先はマニラなのに。
よく分からない話なので適当に相槌を打っていた。
食べ物の事やら、建物の事やら、話が一向に終わらない。
よくよく考えたら副長は一昨年だったか、何ヶ月か仕事の関係で中国に行っていた。
その時の話なんだろうがだんだん話を聞くのが面倒になってきた。
なぜなら、私は副長の中国観と中国語は大分あやしいとふんでいる。
たとえば、一緒に行った足つぼマッサージで、副長が懸命に「痛い」といっているつもりのコミニケーションがいっさい通じていなかった事があった。
あとで、「奴は台湾人だな」といってたが、どうなんだろう。
副長はいい奴なんだが、ときどきぼんくらになる。

そうこうしているうちに、第二ターミナルビル駅へ到着。
すぐにJTBカウンターに向かう。
結構な距離を歩き、JTBカウンターへ着くなり、「今回は大丈夫」と副長がすかさずタグやら資料やらを提出。
ちゃんとJTBの説明を聞いていましたといいたかったのだろう。
確かに、ここでは全ての手続きをとどこうりなくこなしていた。
が、後にやっぱり説明なんて全然聞いていなかった事が判明する。
副長ってやっぱりおもしろい男だ。

第二ターミナルは込んでいた。我々が乗るフィリピンエアーラインも大混雑だ。
搭乗手続き時間のぎりぎりだったのにもかかわらず、ずいぶんと長い時間列にならんだ。
手続きをしている人たちは多種多様だったが、私たちのすぐ前は、女の子(?)だったがすごく小さい人だった。
多分、自分の体重より重い荷物を持ち込もうとしていた。
当然のオーバーバッケージ。追加料金を45000円払っていた。
となりの列では、あきらかなフィリピン顔の女の子が二人並んでいたが、日本人パスポートを持っていた。
ハーフなのだろうか。
ちょっと不思議な感覚。
そんな事を思っていたら、自分たちの番になった。
ここでも、副長が活躍。
空いている席の交渉をし始める。なんとなく頼もしく見えた。
副長主体で搭乗手続きを終える。
真ん中の列を2席続きでとれた。良い席なのか悪い席なのか分からなかった。
手続きが終わったので朝食をとる事にした。
副長はあまり乗り気でなかったが、私に行きたい店があったので強行に提案した。
出発時間まであまり余裕がないし、イミグレーションも込んでいるようだった。さらに、飛行機に乗ってすぐに食事が出る事も知っていた。
しかし、私が以前つきあっていた彼女と行ったお店にもう一度行ってみたかったのだ。

彼女はRという、やっぱりフィリピンの人だった。
Rは日本人と結婚。男の子をもうけた。
Rのだんなは年若いだけに浮気者。の上に乱暴者だったそうだ。
耐え切れずに、Rはランナウエイ。
ただ、だんなのお母さんが良い人で、Rと子どもの生活のために役所に母子家庭の手続きををしてくれた。
とは言え、ハイハイしか出来ない子どもを抱えては仕事も出来ない。
Rは、泣く泣く子どもをフィリピンのファミリーに預ける事を決心する。
品川でリエントリーの手続きをし、成田へ送り迎えをして、一人になったRの愚痴を聞く。
日本へ働きに来て、日本人と結婚し、子どもを作り、立ち行かなくなったケースだった。
結局、Rは子どもと離れての生活に耐え切れず、わずか2週間でギブアップ。
私は2週間で成田空港まで2往復をするはめになった。
Rは性格の良い人だった。
一昨年、私が医者のミスで長期入院をせざる得なくなった時、ほぼ毎日見舞いに来てくれた。
言うはやすいが実行の難しい行為の一つだと思う。
実際、私も昨年、父が1ヶ月入院した時はたいへんだった。
そんなRだったが、結局、私とも上手くいかなかった。
特に、別れたという事でもないが、なんとなく距離があいた。
「彼女(R)は彼(元だんな)を忘れないだろうな」
的な感情が私に生まれた事が原因だろうと思う。
Rは「彼(元だんな)の事が本当に好きだったのよ」といっていた。
ジェラシーとかではなく、「そうだろうな」と素直に認めてしまった。
同時に「自分も本当に好きになって、好きになってくれる人」を改めて見けようと思った。

副長はさっさと歩いて行く。
副長の背中がどんどん遠くなっていく。
私はノスタルジーに包まれながら、のんびりと歩いて行く。
私はそういうことが好きな性質だ。
私は飛行機に乗り込むのを一番最後にしたかった。
そうしたかったのに・・・
確かに乗り込み口改札にチケットを入れたのは私が最後だった。
が、私を待っていた副長がみょうに、にやにやしている。
「今、局長を待っている間に、強制送還されるフィリピーナを見た」
「彼女はどうやらオーバーバッケージのお金を持っていないらしく、もめていた」
との事。
それは、珍しいものを見たねと、うらやましくなった。
それなら、とっととっとと歩けばよかった。
結局、イミグレの職員らしき人が「特例はいっさい認めない」と宣言し、彼女をどこかへ連れて行ってしまったらしい。
我々が、やっと席についてシートベルトをしていたら、機内アナウンスが
「お一方の手続きがお済になっておりません。少し出発の時間が遅れます」
と告げた。副長と顔を見合わせ笑ってしまった。

機内も混雑していた。

鴨君(芹沢鴨君。タガログ新撰組もう一人の局長。本人は鴨はいやだ。これからは探索方の山崎丞でいく、と言っていたが我々の中では永遠に芹沢鴨君)が昨年の12月に訪フィリピンしたときはスゴク空いていたらしい。
なので、あんまり行く人もいなくなったと情報通を披露していた。
しかし鴨君よ、12月なんてトップシーズンに行く人なんて君ぐらいなんだよ。

2年前のセブに行った時もすごく込んでいたが、今回のマニラ行きは乗客の層が違っていた。
子どもが多い。それも乳児が多い。
以前のセブ行きの時期はちょうどタレントビザが無くなってすぐの時だった。
勝手な思い込みだが、あのときのタレント達がなんとか日本に残る手立てを講じた結果が詰まっているような機内だった。
「マニラにいる両親が孫と会いたというのよ」
なんてセリフがここかしこで聞こえた気がした。
そんな事を考えていたら、今回のマニラ行きの原因になったEを思い出した。
実を言えば、当初今回の目的はEとの結婚の準備のための旅行だったのだ。
Eはちょうど1年間日本にいた。
「あなたと結婚するよ」
「けど、ちゃんとプロポーズしてね」
と、甘い甘いセリフを吐く人だった。
容姿がジャストタイプだったし、以前のRの時に感じた思いもあって、私は真面目にEの事を考えていた。
1年間が長いか短いかは分からないけれど、私としてはEをちゃんと見ていた、ような気になっていた。
Eのすべてを理解出来ないのは当たり前だとしても、根本に同じ思いを持っている、ような気がしていた。
Eが抱えている問題を泣きながら告白した時も気持ちが揺るがなかった、ような気がした。
もちろん副長にも相談した。
副長は「良いじゃないか。物事はやってみなければ分からない事が多いよ」と賛成(?)してくれた。
その他の友人たちも、「局長がそんな思いなら今回一緒にマニラに行こうか」といってくれた。
よく考えた方がといってくれた友人もいた。
本当に彼女の事を分かっているのかと疑問を投げてくれた友人もいた。
そんなこんなで、今回のマニラ行きは、自分の周りでイベント的な盛り上りをみせていた。
一時は6人もの同乗者が現れた。
「なんだ、俺って人気者じゃん」
と図に乗っていたら、マニラじゃなくセブが良いだの、局長はいいけど我々にも女をあてがえだのと、さながら○○旅行の様相をていし始めた。
いい加減面倒だと思い始めていたとき、マクタンで篭城事件が勃発した。
雲の子をちらすように、みんなが四散し、結局残ったのはいつもの副長だけだった。
ほっとしたような、寂しいような出来事だった。
そんな事は関係なしに、12月に「マニラで待ってるよ」といい残しEが帰った。
ここまでは完璧だった、ような気がした。
ところが、マニラに帰ったEと連絡がとれない。
教えてもらった携帯番号にかけると男の人が出る。彼に確認するとEは田舎にいると言う。
何回かかけた。時にEの妹と名乗る人が出た。
彼女もEは田舎にいるいう。
不安になった私は、総司の嫁にタガログ語で状況を確認をしてもらうように頼んだ。
総司の嫁はすぐに連絡をしてくれた。しかし、内容は変わらない。
ただ、いつも電話にでる人がEの父親である事と、Eの田舎は携帯の電波がない事が分かった。
多分、総司の嫁は、私がだまされた事をそのとき確信しただろうが、私にどう告げればよいか分からなかったのだろう。
「クヤ、Eは少しおかしいよ」とだけ教えてくれた。
そんなとき、副長が面白い解釈を披露した。
副長は副長なりに今回の事を気に病んでいて、自分の彼女に今の状況を説明したところ、副長の彼女いわく、
それは3通りの状況が考えられるという。
Eは、本当に田舎にいる。なぜ田舎に行ったかは分からないが、田舎にいる。(もちろん携帯の電波が届かないので連絡できない)
Eは、実は病院にいる。なぜ彼女が病院にいるかは分からないが、病院にいる。(もちろん病気とは限らない)
局長は騙されている。
のパターンなんだといい張っているらしい。
ただそうはいっても、副長が私と一緒にマニラに行く事はしぶしぶながら了承しているとの事。
友人の結婚という一大事には当然付き合うのが常識なのだという。
そんな状況のまま時間だけが過ぎ、チケットを購入する最終期限が迫った。
どうするのか、と副長に尋ねられた、「Eとは連絡とれると思うか」と副長に聞くと、「それは、とれるさ。だってわざわざ日本からお金を持って鴨が舞い降りるだぜ。鴨ねぎを見逃すはずないよ」との答え。
それを聞いたとき「あー、Eとはこれまでだな」と私は確信した。なぜって、副長の予想が当たった事ないもの。
それでも、私はマニラに行こうと思っていた。
きっと意地だったんだろうと思う。
だって、騙されぱなしで日本でめそめそしててもしょうがないじゃない。
「行く事にするよ」と告げる。
「わかった」と受ける副長。
阿吽(あうん)の呼吸。そんなおおげさなもんじゃないか。
ところで、行くのは良いけど現地で何をするのかが問題になった。
当初の目的を失った私は羅針盤のない船だ。
観光をするにもナビゲートをしてくれる人がいない。
が、そんな時こそ我々はタガログ新撰組をとしての本領を発揮する。
私は私で、副長は副長で勝手に現地での行動予定を立てはじめた。
そんなとき、以前セブに行った時にパートナーとして選んだKから突然連絡が来た。約2年ぶりだった。
連絡が来た理由を深く考えずに、Kを案内人にする候補に上げた。
そのすぐ後に、僅かな期間付き合ったIEからも連絡が来た。
IEは、日本ではオーバースティだったが、ついに捕まり強制送還されたらしい。
携帯で話した分には暇そうで、お金もなさそうだった。これもとりあえずの押さえにした。
それと、以前、日本にいた人たちと現地でお知り合いになる方法も検討した。
それが一番オーソドックスな方法だからと進めてくれる人がいた。彼は1年に数回、タイに1人で出かける豪傑だけに、話し合っていると面白そうだし魅惑的にも思えた。が、よくよく考えるとその方法は知識がないと致命傷になる。
以上の案を考えていると、副長が、彼女が家に遊びに行けとうるさくてなんて満更でもない顔で相談してきた。
副長の彼女には数人のお姉さんがいて、その内2人がマニラにいる。
副長の彼女は副長がフィリピーナにもてもてだと勘違いもはなはだしい事を思っていて、副長の行動に鈴を付けるべく、自分のお姉さん達と全行程一緒に居ろ、と指示をだした。
副長が、「そんなに一緒にいて、お姉さんと間違いが起きたらどうするのか」と反問したところ、お姉さんならしょうがないとの答え。でも他の女は絶対に嫌らしい。
「現地の家に遊びに行く」事にたまらない誘惑を感じている副長は「二人が結婚したときの練習にジプニーに乗れ」とか「カレッサ(馬車での交通手段)はぼられるから乗るな」とかの指示を嬉々として受け入れている。
「泊まっているホテルまでお姉さんを迎えによこしてくれる」から安全で安心なのだから、ぜひ私に付き合ってくれといい出した。
これでは、当初の目的が私から副長に変わった展開だ。
まあ、それも良いかと思い(そんなに簡単に思うことがそもそも間違いなのだが)相手側がつれて来た人数による食事代の割合などを決めておいた。
それでも、心配性の私は現地の通訳にと、Kに1月にマニラに行く事を告げ、「君に会いに行く」とさらっと嘘をついた。
Kはすごく喜んでくれて、楽しみだといっていた。

機内で、Eへの思いと今回のなりゆきをはんすうしていた。
周りの友人達はお前達はバカだと言う。人に言われるまでもなく、我ながらバカと思う。
そんな事を考えていたら、すぐ後ろの席で子どもが泣き出した。
結婚して、子どもができて、里帰り。
もしかしたら、いや、確実に選択したであろう未来がそこにあった。
実現できなかったくやしさと、実現しなくてよかった安堵か混ざり合った複雑な思いが子どもに姿を変え泣いていた。

時間があっという間に過ぎていく。
機内は食事の時間になった。
前回のセブ行きと同じメニューだった。今回も迷わずビーフを選ぶ。
付け合せのパンとそばも健在だ。
副長が今回も、非常用にパンを忍ばせると思って見ていると、「いらない」とツレナイ態度。
さっきの朝食のせいか、副長はほとんどを残したが、私はめずらしくたのんだ赤ワインとともに完食。
人は頭を使うと腹が減るのだよ。

食事が終わってしまうと後は、コーヒータイム。
タイ行きの機内ではカフェというところを、コーヒーちょうだいと英語で注文。
一人でにやにやしてました。

そろそろ退屈をもてあます時間。やっと飛行機は高度を下げ始める。
翼の下に現れ始めるマニラ市内。
Eとの事は簡単には忘れられないが、もはや過去の事。
今はせっかく来たマニラを堪能する事が最優先。
あたまを切り替える。
お、なんとなくうきうきしてきた。
我ながら単純だ。

アキノ空港に着く。
思っていたほど暑くはないが、まさかダウンジャケットは必要ない。
手荷物の中にねじ込んだ。
前回の経験が生きた一つが、「行きは手荷物、帰りは機内へ預ける」荷物キャリー方式。
多分、アキノ空港は機内預かり品が世界一出てくるのが遅い空港で、成田空港は世界一早い空港だろう。
そんな認識はたいへん役にたった。
スムーズにイミグレーションも通過。両替所で3万円分だけペソに換金した。
無事、空港外に出る。外には迎えに来た人たちがいっぱいいた。(この状況って話ではよく聞くけど、見てみるとすごいよ)

成田のように空港内に送迎者は入れない事を確認した。
ここで副長が変な事を言い出した。
「泊まるホテルまではバスで行く」
バス?なにそれ、と聞き返すと、チケットを取りにJTBに行った時いわれたらしい。
「え、現地スタッフは迎えにこないの」
と聞き返すと、「チェックインは自分たちがやる。問題ない」と強気発言。
問題ありまくりの私は、「確か、現地スタッフの送り迎えがついたコースを選んだし、お金も余分に払った」と押し返す。
そんな問答をしていると、我々の名前を書いたボードをもつ現地スタッフを発見。
黙りこくる副長。
「もう一組、お客様がいますので、揃いましたら車でホテルへ送ります。それまでタバコでも吸っていて下さい」と笑顔で対応の現地スタッフ。
人の話を聞かない事が改めて露見した。
成田のJTBカウンターではあんなに偉そうだったのにね。

もう一組のお客さんを待ち、車に乗り込みホテルへ向け出発。途中、この時期にはめずらしい雨が降り始めた。
ところで、今回選んだホテルは、エルミタ地区にあるカジノ付「マニラ パビリオン ホテル」部屋は21階が用意されていた。
環境的にBランク指定のホテルだが、繁華街からも近いし、日常品の買いまわりも便利な所だ。
手早く現地スタッフがチェックインを済ませてくれた。
「なにかあったら連絡下さい」と「寂しくなった時も連絡して下さい」と言い残し現地スタッフが去った。
前半のセリフは当たり前として、後半のそれは、日本人が売春ツアーをしていた時のなごりかしらと思っていた。
が、のちのちそうではない事が判明する。

私のKには、さっきから副長の携帯で連絡を試みているが繋がらない。
しかし、Kには今日午後3時30分ころホテルに我々が着く事を前もって知らせてある。今、3時なので予定より大分早い。
なので、とりあえず荷物を部屋に置きに行く。
副長の部屋は19階だった。

ところで、副長はこの日、鴨君と小さな約束をしていた。
知り合い(この人を鴨は自分の彼女と言う)の知り合いに(鴨が彼女と思っている人の親戚だと言う)携帯電話を買ってやる約束を鴨がした、失礼、鴨君はした。
その彼女(鴨が彼女と思っている人の親戚だと言う)がなんと、我々のホテルまで集金に来るから渡してやっくれと言うのだ。
この手の約束を副長は「来なければ来ないで良いし、関係ないね」と乱暴にいう。わりに律儀にこなす事を知っている鴨君が副長に頼んだらしい。
それを聞きつけた私が「そんな事は俺がやってやる。ところでいくらだ」と尋ねると「10万円」「でも局長は彼女(鴨が彼女と思っている人の親戚・・・ってめんどくさいので以下彼女)の顔を知らないでしょ」という。
副長なら彼女の顔を知っているのかと聞けば知ってるよという。
なぜなら、彼女は副長の前の前の前の・・・つまり以前の彼女と一緒のお店で働いていた。
とうぜん副長は知っていると見事な三段論方。
で、副長に確認すると「知らん」の一言。
結局、携帯で副長と鴨君と彼女がやりとりしてやっと合流。
彼女は無事お金をゲット。
私だったら、全額渡すなんて無謀をしなかったのにとほぞをかんだ。
無事10万円をゲットした彼女。その場で円をペソに換えると言う。
それなら自分も連れて行ってくれと副長がいい出す。
彼女がどこで換金するのか興味しんしんの様子。
私はそろそろKがホテルに着く時間だったので副長が持って来た2台の携帯の内1台を借りロビーで待機する事に。
しばしの人間ウオッチング。
しばらくすると、一緒にホテルへ連れてこられた「他のお客さん」の内の一人がロビーへ降りてきた。
別にあいさつもしないが、さっきまで一緒だった顔なので覚えていた。
すると、結構いい女が「わーひさしぶりー」と言いつつ彼にかけよっていく。
同じことをする人がいるなと思いつつ、同じ事なら相手がきれいな方が勝ちに決まっている、と変な考えが頭に浮かぶ。
そういえば、Kとは2年間も連絡していなかった。
どんなことになっているんだろう。
急に不安が湧き上がる。
Kは、ダバオに住んでいて今回もわざわざ飛行機に乗ってマニラに来てくれる。
優しい、おだやかな性格の人だ。
ただ、前回のセブでは日本にいるときより若干太り気味になっていた。
私はでぶは嫌だった。どうゆう非難を受けても、嫌なものは嫌だ。
が、現実には数分後には答えが出る。
と思っていた矢先にKが現れた。
ジャイアントKに変身していた。
「久しぶり!」と近寄るKに「ふとったな!」と答える私。
「ちょっとネ」とふざけたセリフをはいたKに全身の力が抜けて行く私。
今回の旅行での恋愛ざたが終わった。気がした。

そこに換金を終えた副長らが帰ってきた。
副長もKを見て一瞬ひるんだように見えた。
が「換金を一緒にしてくれたお礼に彼女も誘って4人で食事に行こう」とこの後の予定を決めてくれた。
私はいうと立ちすくみながらも頭の中がフル回転。
行きの飛行機で切り替えた頭をもう一度切り替えるの作業に入っていた。
たいへんだー。

Kの荷物を置きに部屋へ行く。
今回は予め、ホテルへランドオンリーのエクストラが居る事を告げておいたのでKもスムーズに部屋へ入れた。
しかし、ここのホテルならそんな面倒はいらなかったと思う。
だって、いろんな人が入れ替わり立ち代り出入りしてるもの。

荷物を置きロビーに戻ると、副長と彼女はラウンジにいた。
さっそくビールなんか飲んでいる。
私とKも合流する。

「今日はイハウイハウ・カルデカルレロに行こう」と副長の提案。あっさり可決。
「どんな所なの」と聞けば「マニラに来たら行きたいお店のNO1さ」と質問と若干違う答え。
不安を覚える。
たいしてお腹もへってなかったが彼女がMRTで帰るためあまり遅い時間は危険だとの事から、さっそくタクシーでお店に向かう事にする。
ラウンジの会計をしたらやたら高い。以後このラウンジ使用は封印とした。

お店はホテルからタクシーで20分くらいのマラテ地区にあった。
私たちが到着したときはまだお客さんはいない状態でこれから営業が始まる様子だった。
明らかな観光客の私たちだったが、愛想よく迎えられる事で私のファーストインスピレーションは良い。
さっきの不安が少し軽減される。
「ここはなにがおいしいの」と副長に聞くと副長はなんと聞こえないふりをしている。
またまた、不安が倍増、不満も生まれる。
さらに副長に確認したら、「ショーをスタッフがする店」としか知識をしいれていなかったと自白する。
では、注文は女性軍にまかせようと言うことになった。
しかし、これが間違いだった。なにしろジャイアントKだから次から次へと注文を、するは、するは、するは・・・
当然、テーブルに乗り切らない料理をエキストラテーブル(こんなコトバってあるの?)に乗せマニラ初日のディナーが始まった。

シニガンヒポン(これがうまい!)から手をつけ、
蟹のいためもの、
ツナの料理、
シーザーサラダ(まずい。野菜はうまいのにサラダにするとダメ。マニラではサラダはあまり食べないらしい)、
正体不明のでかい魚、
お店自慢のレチョンバボイ(これもうまい!今までレチョンバボイはいまいちの料理だと思っていたが認識を一新)、
飯ごうに入ったカニン4つ。
さらにデザートにマンゴー。
とアルコール少々。

一生懸命それらを食していると、次から次へとお客さんも来はじめた。
副長よ、ここは本当に有名なお店だったのね。不安も不満も解消した。
お客さんが増え始めるとスタッフもはりきりだし、ショーも始まった、が、キーがあっていないピアノとチューニングしていないギターはなんともいえない不協和音。
まあ、ショーの方はご愛嬌なのだろう。
バクラもどきなスタッフの出し物に「マガリーン」とか「イエバー」とかでかい声援を送ったらお礼に私の頬にチュウしてくれた。お礼のお礼は100ペソだった。

途中、副長がタバコを吸いに外に出た。
このお店もやっぱり禁煙。天井はヤニだらけなのにね。
続けて私もタバコタイム。
副長が「外に浮浪者の子どもがいる。話しかけてくるから気をつけろ」とアドバイスする。
私はこの手の浮浪者が実は大好き、しかし、むこうは私を怖がって近寄らない事が多い。
今日はどうかな、と思いながら外に出る。
やっぱり近寄らない、どころか現地人を見るような目で一瞬だけ私を見たあと無視しやがった。
タバコを吸いながら気がついたのだが、このお店の厨房は外から見えるように出来ていた。
いくらかは涼しいとはいえ、マニラはやっぱり蒸している。
その中での火を使った仕事は大変だ。
それでも、仕事があるだけマシなのだろうか。
と思いながらお店に戻る。
私も、副長も彼女ももうお腹いっぱい。ただKだけがもくもくと出された料理を平らげていく。
「頼もしい」と素直に感心してしまった。
満足した私たちは会計を済ませ、(全部で4000ペソくらいだったか)再びタクシーでホテルへ。
このお店の「イハウイハウ・カルデカルレロ」の意味をKに聞くと「食べる食べる手で食べる」だと言った記憶がある。
いいかげんに聞いていたので正確な事は分からない。
ホテルに着くと彼女は帰っていった。よくよく見るとKより大分やせていて結構かわいい娘だった。

後日、鴨君にこの時のお金の行方を尋ねた。
どうやら携帯ではなくすべて彼女の食事に変わったらしい。なんだ、彼女も大食漢だったのか。
さらに、私の事をおもしろいといっていたという。そういう事はその時いえって。

ふと時計を見ると9時だった。
このまま部屋へ引っ込むには早い時間だ。
「副長が一人で寂しいだろう」と副長をだしに一軒飲みに出ることにした。
フィリピンパブに行きたいと思っていた。
フィリピンのフィリピンパブ。なんて素敵な響きだろう。
私はこの日、3万円をペソに換金していた。
さっきのお店が思っていたより安価だったため、まだまだ今日の分としては余裕もあった。
豪遊してやる!と心に思っていた。
確かにKを連れてのフィリピンパブではモテル事はありえないが、それでも豪遊は出来るだろう。
改めて、タクシーに乗り、再びマラテ地区の繁華街へ繰り出した。

ホテルの前からタクシーに乗ると通常の3倍かかるとKが言い出した。
これからは、ほんのちょっと歩きタクシーを拾うことを提案したKを見直した。

そのお店はすごくケバケバシイネオンのお店だった。
入店するときに交渉すると、1セット1時間で700ペソとの事。指名と女の子が飲むドリンクが200ペソ。
何の問題もない。さっそく入店した。
店内は多少込んでいたが、それでも一時の5分の1程度しかお客さんが来てくれないとママが嘆いていた。
私はどうせ、好みなんか指名できないので、女の子の指名はKにまかせた。
Kはこのお店で一番背の小さい子どものような娘を指名していた。まるでどこかのすけべじじいだ。
副長は、満面の笑みを浮かべ女の子を選んでいた。くそー。
このお店にもカラオケがある。
しかもDJ付。どうやら次に歌うお客さんを紹介したり、曲をセットしたりするのが主な仕事のようだ。
曲も2曲セットで受け付けてくれる。ちょっとエンターテイメントチックに、1曲目をアップテンポで2曲目をバラードになんて技も使えるようだった。
が、歌うのはただのしろうとさん。しかも日本の曲で日本語ばかり。
「ここはどこだー」と勘違いも起きるほど日本モードだった。
しばらくするとなんとタレントたちのショータイムが始まった。
あまりの懐かしさに、しばし呆然とする。昔はよかったな。

Kは自分が指名した娘とタガログで話している。副長は自分が指名した娘となにやらうまくやっている。
いいかげん時間をもてあましていると、副長がなにやら笑いかけてきた。
副長の相手が時間で変わる時だった。
「この娘、局長の好みでしょ」
・・・さすが副長よく分かっている。ご指摘の通り、ど真ん中のストライク。
この時ばかりはKの存在を一瞬忘れた。
しばらく、副長から彼女を借りて会話する。
彼女は、日本語ペラペラ。それもそのはずでかっては東北地方のある都市で働いていたそうだ。
タレント制度があった時代では常にそのお店でリクエストを受け、常にNO1だったという。
彼女の最後のさよならでなんと45人ものお客さんを呼んだ。
そしてさらにすごいのは、今でも、日本から当時のお客さんが連絡をしてくるだけでなく、年に何回かは彼女に会いにマニラ来る事だ。それも複数人が。
私は彼女に「それだけ入れ込んだお客さんがいるのだから、その中から結婚相手を選ばないのかい」と聞くと、「うん、今選んではいるけどネ」とあいまいな返事。わざわざマニラまで行って日本の飲み屋と同じ会話をするとは思わなかった。
あーたまげた。

そろそろセット終了の時間だ。
私にはこの後、Kとのやりとりが待っている。
体力に余裕が欲しいところだ。
お勘定をすると、交渉時よりも若干高めだった。Kがひそかに携帯カードなんか注文したからだ。
まあまあ、取るに足りない金額なので無視する。

ホテルに戻りそれぞれの部屋へ。
私はKとじっくりと話をしようと思った。
まずは、Kがここまで来るのに必要だった飛行機代を渡す。
で、どうやってこのお金を作ったのかを問いただすと、「お母さんに借りたという」でもお母さんも人から借りたので利子がつくらしい。
前日まで金策に走り回ってやっと工面したと笑っていた。
Kが「あなたにもらったお金は明日、送金する」というからそんなシステムがあるのかと聞くと、あるという。
では明日一緒にそれをしにいこうと約束した。
それから、今までなにをしていたのか、仕事はなにをしていたのか、これからどうするのか等々を話した。
Kは今は何もしていない、でもこれから学校に行って日本の農業の勉強をするという。もうタレントではビザが出ないから農業の仕事をしに日本へ行くという。
なんだかあやふやな話だったがKとすれば真剣のようだった。
そんなKを見ていて愛情が少し湧き出てた。
「よーし、Kを抱くぞ」
とやる気も出てきた。
「じゃ、話はこれくらいにして、一緒にシャワーをしようじゃないか」と誘うと少しテレながら小さくうなずいた。
「おー、かわいいじゃないか」と思いつつ一緒にバスルームへ。

きっとKは着太り(洋服を着ていると太って見えるってやつ)するんだろうと最後の望みをかけた。
・・・ ・・・ ・・・
私は、チャレンジした。
頑張った、つもりだ。
しかし、Kとはこの日以降、すごく仲の良い友達になった。
・・・ ・・・ ・・・
だって、やっぱり嫌なものは嫌だったんだ。
今日はこれくらいで、おやすみなさい。


1月21日
朝、8時に目が覚める。爽快だった。
「マニラ パビリオン ホテル」は24階建てで、私の部屋からはロビンソンプレースを中心に街並みが目前に見える。
副長の部屋はたいへん眺望がよく、真下にリサール記念像と公園、その先のイントラムロスも望める。
設備も充実していて、4階にはスパやエステ、プールも完備されている。
さらに、「カジノフィリピーノ」も併設され観光客を退屈させない。
今回の旅行での最大収穫がこのホテルだったかも知れない。

昨夜、Kとベッドで頑張ったので(すみません。嘘です)ともかく小腹がすいた。
朝食を取るために外にでることにした。
さっそく、副長に連絡を取ると、今起きたの事。
30分後にロビーで待ち合わせの約束。
私はシャワーを浴び、Kをたたき起こし、準備を急ぐ。
無事、約束の時間通り副長と合流。
朝食の候補はマクドナルド、チョーキン、ジョリビーと選択肢はたくさんある。
結局、道一つ隔てたジョリビーに入る。
この付近には学校がたくさんあるので、お店の中は学生さん風の人で込んでいた。
マニラの学生さんには制服がある。(すべての学校ではないだろうが)私が見た限りでは、白を基調にした清楚な感じの物が多かった。
それに、私が見た限りでは、学生さんはみんなすごくやせていた。Kも学生さんのときはやせていたのかな。
ところで、マニラのお店も、ちょっとこじゃれていたり、有名なチェーン店やいかがわしい感じ(色々な意味で)の店頭には必ずガードマンがいる。銃やショットガンをもった連中だ。彼らがにこやかにドアを開けてくれる光景はなれてくると気分が良い。
いざという時、本当に守ってくれるかは疑問だが、安全が目で見れるのはやっぱり安心だ。
ジョリビーでは朝ごはんセット(正確には違う呼び名だったが)を頼んだ。
注文カウンターに無料の芸能新聞があったのでもらってきた。内容はまったくわからなかった。
まずい料理とあまい飲み物で今日の行動ミーティングを行う。
今日は、いよいよ副長の彼女の家へ行く。
午前11時に彼女のお姉さんがホテルへ迎えに来てくれる。
今、9時なのであと3時間後だ。
その間、ボーとするのもなんなので、リサール公園を散策するか、ロビンソンへ買い物へ行くかのどっちかを選ぶ事にした。
しかし、リサール公園はすごく広い。歩いて散策なんてのんびりした規模ではない事から、ロビンソンへ買い物を選択する。
Kに確認したらロビンソンは9時から開いているという。
それではと、このまま出かける事にする。
約5分を歩いてロビンソンに到着。話に手間取っていて時間は9時30分になっていた。
たしかに人はいっぱいいる。しかし、ドアが開いていない。
この人たちはお店がオープンする前から並んでいる人たちだ。
改めてKに確認させたら実は10時開店だった。
しょうがないので周りを散策する事に。
ごみごみとした街並みと大勢の人たち。
結構楽しい。

私も副長も近い将来に、フィリピンを生活のもう一つ基盤にしたいと考えている。
今は、そのための投資で、それはパートナーを見つけるための行為だと自分を正当化している。
で、どこに基盤を築くかといえば、それはやっぱり都会になるだろう。
海岸近くの静かでおだやかな場所を選ぶ人もいるだろう。もしかするとそういう人の方が多いかも知れない。
しかし、我々はそういう場所はダメだと思う。
もちろん、価値観の問題だから、どちらが良くてどちらが悪いという事ではない。

すこし歩いていると、道路に露店が並んでいる。
人もさらに大勢たむろしている。
なんだろうと思ったら、病院だった。
すごく広い敷地の、大きいが古い建物だった。
中に入ってよく見ようと思ったら、急に私を便意が襲った。
近くにトイレのあるお店がないか探すと、幸いにもケンタッキーフライドチキンの看板があった。
便意は限界近くまで来ていた。
あわててお店に飛び込むとトイレに駆け込んだ。
無事、用便をすませホット一息。
ところが、水を流そうとしたら「チョロ・チョロ」としか出ない。
そういえば、このお店は入り口にガードマンがいなかった事から考えると、庶民のお店なんだろう。
当然、設備は良いはずがない。
とはいえ流れないのはしょうがない、半分くらい流れたのを幸いに、あとは紙をかぶせてごまかした。
私のあとにトイレを使った人。ごめんなさい。
何事も無かったような顔をして副長たちと合流。
さっきの病院へ見学へ戻った。
初めは、たむろしている人が病人かと思っていた。
しかし、この人たち全部がそうではなく、大部分の人が見舞いに来ているとの事。
マニラでは、入院費は無料だが、治療費と入院時の食事等が有料なんだそうだ。
食べることはすごく重要な事なので、欠かす事は出来ない。
そこで、入院している人の家族が家から食事をせっせせっせと運んで来る事になる。
道路に並んでいる露店はお見舞い人たちが利用するという。
ほんの少しだけ、露店の料理にチャレンジしてみようかなと思っていたら、副長が「死ぬよ」というので止めた。
よく日本にいるフィリピーノが「家族が病気でたいへんだ」といっていた。
確かに、これはたいへんだ。
そうこうしているうちに、10時を過ぎた。
ロビンソン開店の時間だ。
さあ、買い物だ。

ここのロビンソンもでかい。迷子になるくらいだ。
しかし、建物も綺麗だし、設備も充実しているし、お店の種類の豊富だ。
うきうきしてくる。
さっそく店内(場内か)を探索する。
すぐにベンチショップを発見。
いろいろと物色を始める。
今回は、おなじみのポロシャツにコロンの他、ウオッチをチョイスした。
Kも前回のセブ同様、どさくさに紛れ結構な量を便乗していた。
副長もめずらしく、ウエストポーチとチョーカーを購入。
やっとベンチの良さに目覚めたと思いきや、旅行の間だけ使うといっていた。
ゆっくり時間をかけてみて回りたかったが副長の彼女のお姉さんとの約束の時間が迫っていたのと、Kがお母さんに送金しなければならないといいだしたので、いったん、外に出ることにした。
ロビンソンのすぐ近くに送金手続きのお店はあった。
一応、Kからシステムを聞いたがよくわからない。
簡単にいうと、マニラのお店で送金手続きをして、ダバオの同系列店で送金の手続き確認が出来ればお母さんにお金が渡るという事らしい。
カードマンと鉄格子に囲まれた店内に入るのはわずらわしかったので、副長と外で待つ事にする。
所在無く外に立っていたら、靴を履いていない少年が目に入った。
彼は、道路の向こうとこっちをせわしなく往復している。
手にはステッカーを持っている。
なにをしているのかはまったくわからかいが、彼がとびきりの貧乏であろう事は服装からもわかった。
きっと彼は一日中、私には理解できない事を繰り返しながら過ごすのだろう。
と、取り留めない事を考えていたらやっとKが手続きを終えてお店から出てきた。
「IDを提示しろとか、用紙に記入しろとかうるさいよ」と文句をたれていた。
Kよ、それを手続きというのだよ、と私は私にだけ聞こえる小さい声でささやいた。
思わぬ時間をとられたため、副長がお姉さんと約束した時間はそうとう押していた。
Kを待っている間も、副長の携帯は鳴りっぱなしだった。きっと、日本で仕事しているときより鳴っていただろう。
「もうお姉さんたち(?)がホテルで我々を待っている」らしい。
お姉さんたちの、たちってなに、たちって事は複数形だよな。
なんて事考えながら、とりあえずホテルへ急ぐ。
急ぎながらも、道端の露店に目が行く。
ブコ(椰子の実)があったり、飴がバラで売ってたり、バッタ物のCDがあったりする。
私はKを連れていたので声をかけられなかったが、副長には「ソクソクCD」などと魅惑の声がかかったそうだ。
そんなこんながありながら、ホテルへ到着。
しばらく回りをきょろきょろしていた副長がやにわにおばさん2人組と話し始めた。
え!これがお姉さんたちなの、と唖然とする。
私は副長の彼女と3回あった事があるが、正直、顔をよく覚えていなかった。
それでも、彼女とここにいる彼女のお姉さんたちとはあんまり似ていない気がする。
それでも本人たちがそうだというのだから、そうなのだろう。
自己紹介とKを紹介した。
上のお姉さんはMと名乗り、下のお姉さんはRと名乗った。
紹介も終わったので、さっそくタクシーに乗り副長の彼女とお姉さんMが住むアパートへ向かう事にする。
副長は、私がお姉さんたちと紹介をし合っている間に、自分の部屋からお土産のチョコ(行きの飛行機に手荷物で持ち込んだバッグにしのばせたもの。ただし、このバッグの重量は10Kをちょっと超えていた。オーバーバッケージ代はサービス)をとって来ていた。

そのアパートはパサイ地区にあった。ホテルからタクシーで20分から30分くらいの場所だ。
海岸通りのロハス通りを南に向かいタクシーを走らせる。アメリカ大使館前を通りフィリピン文化センターを過ぎたあたりからわき道に入った。
わき道に入ったあたりから、ここがどこかが分からなくなっていたが、不思議に周りの情景に危険を感じる事はなかった。
一方通行を逆走したり、車幅いっぱいの道を乗り越えやっとアパートに着いた。
1階部分が小さなサリサリになっている4階建ての建物だった。
とうぜん、エレベーターなんてものはなく、歩いて階を上がっていく。
小さな声で、Kよ、このアパートはあなたのアパートとどっちが大きいかと聞いたが、Kの返事はなかった。
洗濯物で埋まる2階のエントラスをぬけ、彼女たちの住む3階に到着。
部屋へ導かれた。
間取りは、日本式にいうと、2LDK。ただ天井が高いので日本のアパートに比べると若干広く感じる。
玄関を入ってすぐ右側に小さなキッチンがあり、左側がリビングに通じていた。
部屋は2つ。1つは副長の彼女のもので1つがお姉さんMとMの子どもトトの部屋だ。
それと、バスにトイレというシンプルな作り。
全体に掃除が行き届いていて清潔な感じがした。
この部屋の住人は、副長の彼女、彼女のお姉さんM、Mの子どもトトとお手伝いさんの4人という。
ホテルにお姉さんMと一緒に来たお姉さんRのアパートもこの近所にあり、こことほぼ同じとの事
そういえば、マニラのちゃんと収入のある家庭には、たいていお手伝いさんがいる。
雇う費用が安価だということもあるが、それは文化や習慣といったカテゴリーにはいるらしい。
フィリピン人を嫁にして、家事ばかりさせていると「私はメイドよりひどい生活だ」と癇癪をおこすことがあると聞いた事がある。
ちょっと日本人には理解できないが、この生活形態を見てなんとなく納得した。
ところで、日本人である我々は(Kは違うが)は、初めて訪れるお宅には手土産を持っていくのが常識になっている。
ここでもなにか持っていった方が良いのではないかと思っていた。
一応、副長に彼女に、日本の習慣を説明して、その旨を尋ねてもらったところ、なんにもいらないとの事。
もし、一回でもお土産なんかもって行ったら、毎回持って行かないと「すごいけち」に思われてしまうらしい。
なので、同じ理由から、子どもにおこずかいをあげるのも厳禁なのだそうだ。
しかし、手ぶらで他人の家に上がりこみ、あまつさえ食事をご馳走になる事が始めてなので、落ち着かないことはなはだしい。
それでも、お姉さんたちと彼女たちのお手伝いさんたちが、朝から腕によりをかけたという料理をごちそうになった。
シニガン
エビの料理
魚の料理
野菜の料理
カニン
の内容だったが、本当の意味での家庭料理だったので感動した。
食事中、お姉さんたちは日本語がしゃべれない、我々のタガログ語はフィリピンパブでしか通用しない。となるとKだけが頼りの綱という事になる。
「わかってるんだろうな」とKに念を押すと「だいじょうぶよ」と腹を、いや胸をはった。
当然、初めてどうしなので、いろいろな質問から会話を始める。
多少のギクシャクはありながらもなんとか時間が過ぎていったが、Kはあっという間にお姉さんたちと仲良くなっていた。
人と人のコミニュケーションの上手さはフィリピン人って世界でも有数かも知れない。
その内、ここの子どものトトが食卓の輪に入ってきた。
彼は日本でいうと小学1年生。すごく純真な感じがする。
最初、いきなり家にやってきた日本人にビビリ自分の部屋に非難していたが、恐怖よりも興味が勝ったのか、そろそろと這い出てきた。
私は、お腹もそうとういっぱいになったし、こう見えても子どもの興味を捉えるのがうまいのでトトと二言三言コトバを交わして、仲良くなる事に成功。
彼の部屋を見せてもらったり、部屋のの中でバトミントンやボール遊びに興じ始めた。
副長もお腹いっぱいになったらしく、私とトトが遊んでいる所にやって来た。
ところで、副長は子どもがそうとう苦手で本人いわく「子どもはどうしてよいかわかない」らしい。
それでもトトの、彼なりの精一杯のお客さんへの接待に押されるように一緒に遊びだした。
私は、トトを副長に押し付け、ソファに座りタバコを吸っていた。
女性陣はダイニングでなにやらミーティング。
どうやら私がトトと遊んでいる間に副長が、明日は海に行きたいとお願いした事を受けて段取りに入っているらしい。
と、やにわにKが携帯の充電をするためダイニングから出てきた。
この携帯は、もともと副長の物だったのが、今回Kが直接副長に日本まで電話をし、お土産にとねだったすえにゲットした物だ。
型としては古いノキアだが、副長も使っていないので快く了承したといっていた。
ずうずうしい事だが、それをやりとげる意志力の方が感心する。
と、どうやら明日の段取りができたらしい。
行き先と車の手配、それとお弁当の準備くらいの話だが、すごく時間がかかった。
まあ、なんにしても費用はすべて副長が出すのだろうから、なんの問題もない。
と、思っていたらこれから、明日のお弁当の食材を買出しに行くという。
それなら「SMモールエイジア」に行きたいと私が提案。
わりと近くだよ、というので喜んで出かける事にした。
家に残るお手伝いさんに食事のお礼をいって、総勢6人で目的地へ向かう事にした。

そのとき、私はお手伝いさんが吸っていたタバコに注目していた。
別に薬関係のようなやばい物ではないが、そのタバコの入手経路に密かに興味を抱いていたのだ。
私とトトが遊び始める前、そのお手伝いさんがトトに何かをいっていた。トトは小さくうなずき外出。まもなく帰ってきたがその手に、くだんのタバコをにぎりしめていた。
1階のサリサリでタバコを1本だけ買ってきたという、なんてことない事なのだが、私の今回のやってみたい事の1つに、現地のタバコを吸う事が入っていた。
ホテルのすぐ脇にセブンイレブンがあり、そこにタバコも売っているのだが、現地オリジナルは置いてない。
どこに行けば手に入るのかといえば、サリサリのようなところで1本単位で購入するのだという。
価格は1本1ペソらしい。すごくまずいらしい。
私としては、らしいをだったに変えたかった。しかし、今回では果たせなかった。次はチャレンジしたい。

ともかく、総勢6人は家を出た。どうやって目的地まで行くのかなと思っていると、やにわにお姉さんMが口笛を吹いた。
馬は来なかったが、トライスクルが来た。2台に分乗して大通りまで出るらしい。
私はこの手の乗り物をタイで1回試している。乗りごこちが悪いのと、周りの排気ガスがすごいので乗りたくなかったが、副長の目が輝いている。
しかたないのでご相伴。
この間5分くらいだったが、やっとという思いで大通りに出た。
タクシーでと思ったのもつかの間、路地から出てきたジプニーに「SMまで行くか」とお姉さんMが聞いている。
運転手が大きくうなずくのを確認して、乗り込んだ。
副長の目がさらに輝いている。
ジプニーは見た目どおり、乗りずらい物だった。
だいたい、荷台としか思えない客席に、軍用車のように横座りなんて快適であるはずがない。
全財産7ペソならともかく、こんな物に乗るなんてバカバカしい事はなはだしい。
副長も、最初輝いていた目も、乗り続けている間に、頭はぶつける、ギュウギュウに込んでくるはで腐り始めた。
無事、目的地に着いたとき、「もう、わかった」といったのは印象的だった。

「SMモールオブエイジア」は世界で2番目に大きいショッピングモールとの事。
確かに、でかいとか、大きいとか、広いとかの表現では収まりきらないものだった。
ここで、副長はやにわに、キャリングバッグを買うといいだした。どうやら彼女の私物をもって帰る(?)事を約束させられたらしいが、運搬する方法がなく、なんと、旅行中にバッグを買い足すはめになったそうだ。
私も以前、海外旅行中に街中で、「日本人ともだち」というあやしげなイラン系に「やすいよ、かってて、キャリングバッグ」と声をかけられた事があったが、あまりのバカバカしさに大笑いした事があった。
まさか、自分の仲間がそのバカバカしさを実践するとは夢にも思わなかった。
副長が「このバッグがやすいよ」とやりだしたので、私はここで二手に分かれることにした。
Kが、副長からもらった携帯を使える状態にしたいので、ショップに行くというのだ。
どちらにしても、お付き合いだから、さっさと済ませた方が良かろう。
ノキアのショップはすぐに見つかった、店内も空いていたが、肝心の作業が手間取った。
結構な時間をかけてやっと終了したとき、副長チームはとっくに用事をすませ、我々を探していた。
やっと、副長チームと合流。
それでは、ちょっとお茶でも飲もうという事になり、数あるお店の中からチョーキンを選択する。
せっかくのチョーキンなら「ハロハロ」を食べようと思ったが、やたら大きい印象があったので、多少ちゅうちょしながらカウンターでメニューを見た。
なんだ「ハロハロ」って3通りの大きさがあるのね。で、真ん中の大きさ、2カップアイスってやつを頼んだ。
とうぜんのようにKも同じ大きさを注文していた。
結局、トト以外は全員ハロハロを注文した。
実をいえば、私はカキ氷ってあんまり好きではない。なので、氷をさけて、上に乗ってるものを順番に食べていたら「へんな食べ方」とみなさまから注意を受けた。
「俺の勝手じゃ。ほっとけって」
これでここでの要件はすべて終了なので、お姉さんたちとは明日の確認をしてここでさよなら。

我々も一旦ホテルに帰る事にする。
が、このホテルへ向かうタクシーの運転手にKが激怒した。
とはいえ、「なんだ、このやろー!表へ出ろ!」という事ではない。
我々は日本人の男、Kはフィリピーナ、運転手が無遠慮にどういう関係かKに尋ねたのが発端らしい。
そういえば、これまでなんどとなくタクシーに乗ったが、ほとんどのタクシーの運転手はKとよくおしゃべりをしていた。
たいていの場合、Kと運転手は「どこの出身」から始まる会話をしていた。
「出身」が近い場所だと会話も弾んでいた。
このときは、運転手が後ろに座る我々をさし、Kに「どっちがだんなだ」と聞き始めた。
Kが私を「この人」といったあと、でも「だんなじゃなく、ボーイフレンドよ」とよせばいいのに正直に答えた。
運転手が露骨に嫌な顔をして「せいぜい気をつけろ」的な事をいったらしい。
これがKの逆鱗にふれた。
タクシーの中では2人の会話の細部までは分からなかったが、ニュアンスは理解できていたので、ホテルに着いた時のKの怒りを多少予想していた。
私はKをなぐさめるつもりで「さっき君がいわれた事は、なにも特別の話じゃないよ」といった。

日本人でも、外国の、特にアジアに対する差別はまだまだある。
結局はどっちが優秀で、どっちが裕福かの話なのだろうが、まあ、ナンセンスな話だ。
副長の性格を熟知している私だから、なぜこのセリフが出るのかも理解できるので、これは例え話という事なのだが。
副長は、どうやらフィリピン料理が苦手らしい。しかし私はフィリピン料理が大好きだ。
これは嗜好の問題で、人格や価値観の問題ではない。
副長は「こんなまずいもの食えない」というときがあるが、それは自分の嗜好なので人にいうべき事ではない。
ましてや、その事だけで「だから○○はだめだ」というのは大間違いだ。
私は、行動の指針を常にリベラルにしたい、と思っているという事かな。

Kはまだ怒っている。私が逆切れしてKを押さえつける事もできたが、事が事だけにそれもかわいそうだと思い、しばしインターバルを置くことにした。
副長に、それぞれ部屋へ帰って少し休もう、というと、副長も、さっきまでの緊張から解放されたせいか、呆けた顔でうなずいた。
「今日の夕食の場所は俺がチョイスしておくから」と伝え6時30分にロビーでおちあう約束をした。
今は5時少し過ぎたくらいだからちょうど良い長さだろう。ではと、それぞれ部屋へ戻った。

こういうときは、なにもしないに限る。
てきとうに、時間をつぶし、約束に間に合うように、夕食の場所を決め、シャワーでも浴びるかと思っていた。
私が夕食の場所をガイドブックで探している間、KはTVを見ていた。
KはほんとうにTVが好きだ。
それもじっくりと見る。私が寝たあともズーと見ている。夜中に「ザー」という音がするのでなんだと思ったら、懐かしい(今の日本の放送ではあまりお目にかからなくなった)TVの無信号音だったという事が2回ほどあった。
どうやらKは、見るTVのプログラムが決まっているらしい。毎日放送しているドラマや、クイズ番組は1日かかすと筋わかならくなると思っているふしがある。
なので、このときもKは食い入るように見始めた。それでも、連続で見ているプログラムが途切れる時間があるらしい。
このときもほんのわずかな時間に空きができた。
Kが自分の用事を始めたので、私がチャンネルを変えていたら「ピョロ」のライブを放映していた。
さっきまでやっていた用事の手を止めるK。TVのすぐ前まできて、にやにやしながらまたも食い入るように画面を見ている。
わかりやすいやつ。
どうやら、さっきまでの怒りはどこかへ吹き飛んだようだ。
しかしKよ、さっきまでの君の怒りは、人権の根源にかかわるような問題だったのではないのかい。そんなにすぐ忘れてしまう事なのかい。
とはいっても、私はKのというより、フィリピーナのこうゆうところがたまらなく好きだ。

さて、今日の夕食の場所だが、私が選択したのはエルミタ地区にある「ハーバービュー」というレストラン。
新鮮な魚介類とマニラ湾のイルミネーションが自慢の、海の上に設置された高級店だ。
実は、この日の夕食以降を今日の副長に対するご褒美にしてあげたいと私は考えていた。
こういうときの私は完璧主義者なので、すべての行動をスムーズにエレガントにしたがる。
食事のあと、ゴゴーバーかバクラのショーに行きたかった。
なのでKにその手のお店の段取りを頼んだ。Kも各方面へ携帯をかけまくっていた。
「ハーバービュー」はホテルからタクシーで10分のところにあった。
玄関からしてすばらしいロケーションだ。
副長も「ここは良いとこだネ」と喜んでいる。
ちゃんと、予約を入れておいたので、スムーズに事が運ぶ。
店内はそこそこ込んでいるが、お客さんのほとんどが外国人だった。
案内された席につき、マニラ湾の風に吹かれながらまずは、サンミゲルで乾杯。
フィリピン料理が苦手な副長のために、比較的日本人になじみやすいものを私が注文する。
シニガンクラム(シニガンの貝が入ったもの。すごーくうまい!シニガンでは私のなかではNO1)
シャンハイルンピア
チャプスイ
シーザーサラダ(やっぱり、いまいち。これ以降サラダを選ぶ事がなくなった)
カニン

ちょっと品数が少ないが、量的には充分なものだ。
食事中に、テーブルまでデザートのオーダーととりにきたので、チョコレートケーキをチョイス。
と、ここまでは完璧だったので、私は大満足していた。このあとの行動もこのままの状態が望ましい。
副長に、このあとバクラのショーはどうかと聞くと、まかせるよとの事。
Kに、さきほどから頼んでいた次の店がわかったかを確認した。

先程だからKは、確かに方々へ連絡をしていた。K自身がダバオなので、マニラはよくわからないらしい。
ところが、はたで様子を見ていると、肝心の話はそっちのけで、「いまなにしてるの」とか「調子はどう」とか話してる時間が多い。
あげく、仕事の事やらプライベートな問題なんかを熱心にしていた。
私としては、ちゃんと目的のお店を探し出し、段取りをとってくれれば良いと思い、Kのするがままにさせておいた。

次に行く店を紹介してもらっいるが相手からまだ返事がないとKがいう。
ずいぶん時間がたっているのだから、Kから連絡してみろと指示をだした。
すぐにKはどこかへ連絡を始めた。
が、また、余分な話が始まった。私の血管が切れた。
Kがいい気に電話しているときに、副長へ「これからKをしかるからちょっと待ってて」とつげた。
Kの電話が終わった。
私は、押し殺した声で「いつまで電話しているんだ。そんなに電話の相手と話があるのなら、そこへ行ってこい」とまくしたてた。
そのまま、Kをそこに残しさっさと副長とお店をでた。
本当にKをここに残して帰るつもりだった。
副長とタクシーを待っていると、Kが泣きながらトボトボ歩いてきた。
「あなたはなんのためにここにいるんだ。よく考えろ」というと「ごめんなさい」と下を向いている。
副長の手前もあるので、ここいらへんが潮時だろう。
「わかればよい」と許し、次の場所へナビゲートさせた。
が、案の定、段取りができていない。
とりあえず、バクラのショーのお店には着いたが、まったくお客さんがいない。
聞けば、ショーはあと1時間30分後でないと始まらないという。
普段なら、ショーが始まるまで時間つぶしをしてからという選択をするが、副長が、こういうとき素直にしたがってくれるありがたい友人なのを良い事に、まだわだかまりがある私はKに対するペナルティの意味も含め、そのまま入店する事にした。
店内には、関係者しかいない。どこにでも自由に座って良いとスタッフにいわれた。
多分、日本人なら自分が選んだお店にゲストを連れて行ってのこの状態は恐縮するだろう。
しかし、Kにはそういう機能がついていないらしく、平然と頼んだジュースを飲んでいる。
バカバカしくなった私は、素直に副長にあやまり、お店を出ることにした。
「あと1時間待てばショーも始めるよ、もったいないよ」とKがいう。
そんなに待てるか!
お店をでるとKがやにわに、この近くにおんなのショーのお店があるといい出した。
Kの提案をまったく信用しなくなった私は「もうホテルへ帰る。タクシーをつかまえてくれ」と告げた。

後で確認したら、マニラではゴゴーバーの営業はいっさい出来なくなったらしい。
このときもKの提案に乗っかっていたら、とんでもない事になっていただろう。

ホテルへ帰った。
このままでは後味が悪いので、封印したラウンジへ行く事にする。
もう今日は飲んじゃえと思った私はテキーラを頼んだ。
副長もKも同じものをオーダー。
乾杯で一気にあおった。

朦朧とした足取りで部屋へもどり、倒れこむようにベッドへ。意識が遠のく。
おやすみ・・・


1月22日
今日は、バタンガスへ行くために朝の5時30分ロビーに集合だった。
奇跡的に、5時に目がさめた。
あわててKを起こし、身支度を始めた。
シャワーで無理やり意識をはっきりさせていると、Kが「今日は泳ぐの」と聞きいてきた。
そうか、今日は海に行くのかと今更ながら思い出した。
なんとか約束の時間に・・・ぜんぜん間に合わなかった。
6時近くになってやっとロビーに下りて行くと、副長がボーっと1人で待っていた。
お姉さんチームもまだ来ていないらしい。
副長は、目覚ましの時間を間違え3時過ぎに起きてしまったとの事。
あまりにも時間がありすぎるので、バスタブを使おうと思ったら冷水しか出ないかったという。
今日のこれからの気苦労と併せて気の毒に思った。
しばらくロビー待っていたら、やっとお姉さんチームがトヨタのタウンエースで到着。
すぐに車に乗り込み出発。
よくよく見たら運転手(よくみなくてもすぐわかったが)は男の人だった。

ところでこの小旅行だが、昨日の時点では、車のレンタル代が7000ペソでガソリン代、高速が別。さらに手間賃としていくばくかの謝礼とお弁当の食材代が費用だった。
ところが、この条件を副長の彼女が聞いて激怒したらしい。
副長の彼女いわく、今日使う車は、自分がお金をだして買った自分の物だ。ただ、自分が日本にいて使わないときにだけこの運転手に貸与しているだけなのに、車のレンタル代とはなんぞやとか、ガソリン代や高速代、食事代はともかく、手間賃を私の恋人から取るなんて「お姉さんは私に恥をかかせるのか」等々すごい剣幕だったらしい。
結局、前日の取り決めの金額はご破算にして、新たに、必要な実費だけという事になったらしい。
うーん。副長の彼女は日本に長いだけあってスジが通っている。感心した。

まずはガソリンスタンドへ寄る。結構ガソリン代って高い。
ここから今日の目的地までは約3時間くらいかかるという。
おー、結構遠いのね。
車は渋滞し始めた道路を南へ走っていく。慎重な運転なので、快適だ。
しばらくすると、女性軍は全員睡眠タイム。
おかげで車内がすごーく静か。さらに快適になった。
今日のメンバーは、私、副長、K、お姉さんM、お姉さんR、お姉さんRの子どもアカン、運転手C、それとお姉さんMのお手伝いさんの総勢8人の大所帯だ。
まあ、こうゆう事は大勢の方が楽しいに決まっている。
副長は、立場上からか助手席に座った。しかし、運転手Cは日本語が分からないので、全然会話がができない。(1日一緒にいてわかった事だが彼はすごく寡黙な人だった)
なんにもすることがない副長。こっくりこっくり始めるが、さすがに悪いと思うのか「ハッ」と目をさます。これを数回繰り返し、あえなく轟沈。
私は、それを後ろの席から見ていたがけっこう笑えた。
車内で起きているのは私と運転手Cだけの状態。車は高速道路に入った。
この高速道路は、あちこちが工事中。作業員がのんびりのんびり仕事をしていた。結構のけぞったのは、車がバンバン走っているすぐ横で、測量をしていた事。
私は高速道路を作った事がないのでわからないが、なんか違わないか。
高速道路はすごく順調だったが、高速から降りたとたん渋滞に巻き込まれた。
どうやら、朝の通勤や通学の時間帯になったらしい。
ノロノロ走るしかない。
おかげでいろいろおもしろいものを見れた。
その中で1番興味を引いたのは、道端に並んだ籠に入ったりっぱな雄鶏。なにと思ったらKが、あれは売り物で闘鶏に使うと教えてくれた。
そこで、強そうな雄鶏を選んで買い、闘鶏場で戦わせる。自分の雄鶏が勝てば、掛け金をもらえ、負けてしまうと雄鶏を食べるという。
そんな話を聞てから改めて籠にいる雄鶏たちを見ると、茶色や赤や白を基調にしたカラフルな羽が、さながら五色の鎧をまとい、出番を待つ戦士のように見えた。
理屈ぬきにかっこ良いと思った。
ところで、このパタンガス地区はいうなればマニラのリゾート地にあたるらしい。
家の数も少なく、どこかセブを彷彿させる風景だった。
車はまもなく、とある敷地に入っていった。
○○リゾートと看板にある。運転手Cか建物の従業員らしき人と何かを話している。
しばらくして、あきらめ顔で車を出発させる運転手C。
なんだろうと思っていたら、「今日、ここでは泳げない」という説明をされたらしい。
しばらく考えて私なりに状況を整理した。
ここいらへんは、安全性と快適性のためエリアで区切った、いつくかのプライベートビーチ施設が設備されている。
この設備は、海でホリディを楽しむ人たちへ、宿泊も含め、レストランやバーベキューや海で楽しむための設備が用意されている。
ただ、気温の関係で海水が冷たく泳げない事がある。
という事だと気づいた。
日本の海水浴場(海に行くとの事から)を想像していた私は、ここまで理解するのに結構時間を要した。
またしばらく車を走らせた後、「遊泳がOK」のリゾート施設に到着。
まずは、レンタルする設備の選択から始める。
第一に私たちに必要なものはバーベキューの設備。これがないと今日の朝と昼ごはんが食べれない。選択肢は2通り。
早い話、バーベキューを楽しむ席をパブリックにするかプライベートにするかだけの事。
今日は我々の他にはお客さんが誰もいないからパブリックもプライベートもないのにね。
とうぜん、安いパブリックを選択。
次は、海に浮かぶフォローティングコテージを使用するかを聞かれる。
これは、かっこいい。よく、旅行雑誌に「魅惑のアイランド」なんてタイトルで写真が載ってるあれだ。
瞬時に借りる事を決定した。
費用はバーベキューエリア代が700ペソ(これは私が払ったので覚えている)、フローティングコテージ代は副長が払っていたので不明。
交渉がすべて終わったので、車から荷物を降ろす。
手伝おうとしたら、お客さんだからなんにもしなくていいよ、との事。
なんだか恐縮した。
バーベキューの用意をしている間に朝食をとれという。
ん、なんかへんだな。
今、朝ごはん食べるよね、食べ終わった頃、焼くだけで出来上がるバーベキューが仕上がるよね。
また、それを食べるよね、って食べてばかりじゃないか。
とはいえ「郷に入れば郷に従え」の格言もあることだし、素直に朝ごはんから手をつける。
シニガン
カニン
野菜のいためもの
という簡単なものだった。
と、よせばいいのに副長が、フルーツはないのかと聞く。
あった。
パイナップルとバナナ。
お姉さんMがおもむろにというか、大胆にパイナップルをむき(?)出す。
私が慣れているパイナップルのきり方は、まず真ん中から二つに切る。
それをさらに二つにわけ、あとは食べやすい大きさに切る。という方法。
ところがお姉さんMはやにわに、まずヘタを切り、次に回りの皮をそぎ落す。
そのあと、なぜか稲妻状に果肉を切り分けていく。まさしく、むくという表現がぴったりのおもしろいやり方だと思った。
私はパイナップルは切り方だけを鑑賞し、バナナだけ食べた。
だって、大好物だもん。
さて、バーベキューはどうかなと見学に行くと、結構手間取っている。
食材の量もすごいが、燃料になる炭の火力が弱いのが原因だ。
炭を持ってみると、すごく軽いくてやたらとやわらかい。
以前のセブでは、山のように炭を積み、火を起こし、その火で直接焼く方法を取っていたがこの炭を見たらそれも納得した。
とにかく、時間がかかると思った。
それで、朝食を食べてさせたのかとこれも納得。
それでも体を動かさないとお腹はへらない。
そこで、Kとバトミントンをする事にした。
Kはみるからに運動神経が鈍そう。はたして運動になるのかと思いきや、私の体が動かない。
日頃の運動不足と肥満のせいだ。少し動いただけで息切れした。
これ以上やると怪我に繋がるとふんだ私は適当なところで切り上げたが、止める理由を「風が強くてバトミントンにならないし、こんな子ども用では本気でできない」としておいた。
しばらくすると飽きてきた。何もする事がない。
件のフローティングコテージはバーベキューが出来てから乗る事になっていた。
しょうがないので、私は1人で海岸へ出る事にした。
海岸へ出たとたん、数人の若者に囲まれた。
彼らは手に手になにやらあやしげな「お土産物」を持っていた。
おや、ここは安全で安心なリゾート施設じゃなかったかい、とは思ったが、この手の連中が結構好きな私はしばし、相手をする事にした。
「にぽんじん、ともだち」とどこの外国観光地でも使うあやしげな日本語で近づいてきた彼らに、私は知っている限りのタガログ語をまくしたてた。
それでも、彼らはひるまずに、日本語で話かけてくる。
彼らが扱っている主たる商品は「真珠」だった。
白いのと黒いのとがあった。形態としてネックレスとピアス、ブレスレッット。
その内のネックレスをいくらだと聞くと、しばらく間があり(この間に人のふところ具合をみるんだろう)2000ペソだという。
私は、そんなお金はもってないと答えると、いくらなら良いのかと尋ねられた。
100ペソだ、というと、違うネックレスを提示した。あきらかにプラスチック物だった。
最初から買う気がない私は、そんなものはいならいと告げ交渉を打ち切った。
しつこくつきまとう彼らを振り切り、私はみんなのもとに戻った。
バーゲキューはまだ焼きあがっていない。
ここの施設が飼っているとは思わないが、ここには猫3匹と犬1匹がいた。
さっき私たちが食事をしていたら、鳴きながら近づいてきていたのだ。
猫3匹はあきらかに子猫で、見ようによってはとてもかわいい。
私は余った朝食でこの猫たちを手なずけようと(とうぜんそんな事は出来ない事は知っていたが)試みた。
あらためて、3匹を観察すると、体の模様がみな同じなので兄弟なのだろうが、それぞれ大きさが違う。
私は3匹に平等にえさを放り投げた。
ところが、体の大きなやつが小さいやつの分まで横取りをしてしまう。体の大小の原因を見た気がした。
なんとか、1番小さいやつにえさを食べさせようと、やつになるべく近づく事にした。
ところが、そいつは私が近づくと逃げてしまう。それではと、やつの近くに落ちるようにとえさを投げると、えさの落ちた音にビックリしてまたまた逃げてしまい、その間に他のやつにそのえさを取られるということを繰り返ししていた。
これを、人生の縮図だとは思わないが、要領の悪いやつはどこにでもいるもんだと思った。
そんなとき、やっとバーベキューが出来あがったと知らせが来た。
いよいよ待ちに待ったフローティングコテージだ。
運転手Cを荷物番に残し、私たちは荷物を持って移動する。
私たちが海岸を移動中、先ほどの連中がいっせいに寄ってきた。
今度は女性軍中心に話しかけている。が、彼女たちはまったくの無視だった。

フローテイングコテージは、丸太を組んだ筏の上に木のベンチと椰子の葉で組んだ屋根がある、一辺が4M程度の真四角の形をしたものだ。。
ここのものは、同じ大きさのコテージが2つ並んで約50Mくらいの沖にあった。
一方のコテージを岸までロープで手繰り寄せ、それにお客さんが乗った後、もとの位置までもどすようになっていた。

ここの従業員が、私たち全員が乗ったのを確認し、コテージを沖に移動させる。
海上を吹く風が気持ち良い。
50Mも岸から離れると結構水深が深くなるが、海水の透明度が高いので場所によっては底まで見える。
海の中を動き回るものは、小さな魚しか確認できないが、海底には色とりどりの珊瑚がにあって、やっと南の島気分がでた。

所定の位置にコテージを固定した。これで準備が終了だ。
あとは、先ほどから用意していたバーベキューを食す事にした。
イカ
ソーセージ(赤くてあまい。不思議な味。なにが原料か聞いてもわからないと思い確認せず)
チキン
カニン
ジュース(これも赤くてあまい)
コーラ
パイナップル
バナナ
のメニュー。
さきほどの朝食分がまだ胃に残っている。ちょっとずつ味を試すようにいただいた。
すぐにお腹がいっぱいになったので、コテージからダイブ。少し冷たい海水がとっても気持ちよかった。
すごく潮の流れが早く、気を抜くとすぐに沖に流されそうになる。
懸命に泳いだが、体力はすぐにつき、コテージに戻った。
しばらくすると、さっき海岸でよってきた連中の内2人がカヌーで私たちのコテージに来た。
商売熱心な連中だ。
先ほどはなんの関心も示さなかった女性軍だったが、今度は半分からかい気味に相手をし始めた。
なんだかんだいいながら、真珠つきの指輪を買っていた。ピアスがサービスで付いていた(Kも購入したが、翌日には壊れていた)
そんなやりとりをなにげなく見ていたら、さっき私が海岸で「100ペソ」と交渉した際にでてきたプラスチックのネックレスが登場した。
日本人価格と現地価格の違いを見れると胸がわくわくした。
結果、100ペソは変わらなかったが5個で100ペソになった。これって得なの損なの。
その内、急に眠気が私を襲った。
・・・ ・・・ ・・・
目をさましたのは女性軍の歓声が上がったときだった。
なに、と思いきやお姉さんMが泳いでいる。Kも泳いでいる。とはいえコテージの近くをプカプカ浮いているだけだが、彼女たちの方が楽しんでいるように思えた。
安全の確認で、ここの従業員が定期的に様子を見に来てくれる。
何回目かに来たとき、お姉さんRがなにかをお願いしていた。
笑顔でうなずき、やにわに海に飛び込む従業員。
そのまま素もぐりで海底を探り出す。
最初は、ヒトデを2つ持ってきた。赤いのと青いのだ。
どうやら、お姉さんRの家には水槽があってその中のデコレーションにするものをお土産にとねだったらしい。
次に持ってきたのは、小さなカニとエビ。
そのあとも何回か潜ってなにかを探していた。それがお姉さんRの1番のリクエスト品らしい。
なにかなーと思っていたら、なんとそれは珊瑚。
30CMぐらいの色とりどりの物をちぎって持ってきた。
うーん、大胆だ。

しかし、頼んだ方も頼まれた方も悪い行為とはまったく思っていないようだった。
私も、これが悪い行為なのか、許される行為なのかよくわからないが、なんとなく罪の意識はあった。
お姉さんRはたいへんご満悦で、珊瑚をバッグに忍ばせた。
そろそろ飽きてきた。
だって気持ちいいだけでなんにもする事がない。
そろそろ帰るかというとKが、まだ食べてるよという。
えー、まだ食べるの?!だって君はさっきからズーと食べっぱなしではないかいと聞けば、もったいないよ、の答え。
そりゃそうだが・・・と反論できなかった。
そんなこんなで海の上に4時間ほど浮かんでいた。
やっと海岸へ帰還。
帰り支度を始めると思いきや、Kとお姉さんRが海岸でもうひと泳ぎし始めた。
もう、自然はいらない私は自分の分だけ帰りの準備を始めた。

ここの施設にも当たり前だがシャワーとトイレがある。
シャワーはなにもかわった事はないが、トイレが一味違ってる。
使用した後、水を桶を使い流すタイプだ。
話には聞いていたが見るのは初めてだった。
以前のセブでは、便座のないもにめぐり合った。
今回のマニラでは、日本にあるものと寸分かわらないものばかりだった。
これを見たとき大げさにいうと、小躍りするくらいうれしかった。
状況としては、便器があり、すぐとなりに水が入ったバケツがおいてある。バケツの中に桶がある。バケツの水は小さな蛇口の水道で使った分だけ足す。
使い方としては、まず、なにをする。それを桶に水を汲んで勢いよく流す。というだけだが、そこにはトイレットペーパーなんて無粋なものは設置されていない。
すべてはバケツの水に頼る事になる。
ところが、バケツは思っているより小さい。桶は結構大きい。したがって汲み置きの水はすぐになくなる。しかし、蛇口からはチョロチョロしか水かでてくれない。
もし、なにが異様に大きかったらと思うと冷や汗もんだろう。
早速実践と思ったがそんなときは便意が来ない。残念だった。
とりあえず形だけでもと水を流したりして楽しんだ。
私のあとからトイレに入った副長がどうすれば流れるかと聞いてきたから、副長は実践できた、のかな。

記念写真をとり、車に乗り込む。
近くの草っ原に、牛とヤギがいた。
帰りも道も、高速道路に乗るまではノロノロ運転だった。
学生さんが大勢通りにいた。学校が終わった時間なんだろう。この学生さんの群れに、将来、フィリピンを背負って立つようなエリートがいるのかなーとか思いつつ、車に揺られていた。
もうすぐ車はホテルに着く、とお姉さんMが明日の予定を聞いてきた。
私は、もう充分接待されたし、団体行動は嫌じゃ、と思っていたので、副長がお姉さんMの申し出を「断れ」と念じていた。
副長も同じ思いだったらしく、「明日は大丈夫だから」といっていた。
しかし、このひとことが翌日副長を携帯地獄に落とす事になるとは知る由もなかった。
やっと、ホテルへ到着。
運転手Cに丁寧にお礼を述べ、お姉さんたちに手をふりさよなら。
楽しかったけど、疲れた。
しばらく、部屋へもどり体力の回復を待ったあと、夕食という事にした。
部屋へ戻るとKが今日使った分のものを洗濯していた。
バスルームが洗濯物だらけになった。
ゆっくりタバコを吸い、水分を吸収しながらTVを眺める。
ふっと、自分も年を取った事を感じた。
もうすこし若ければ、ここはKとベッドで・・・、と思ったんだろう。
しかし、そんな気持ちは小指の先ほどもなかった。
本当に、ここ1〜2年でなにが弱くなったな。
Kが、夕食は日本食が食べたいといい出した。
おめー、まだ食うんかー。だからダルマになるんじゃーと心で毒づきながら、今日はロビンソンに行くと告げ、日本食は明日にしようと約束した。
しばらくの休憩で少し体力がもどった。
副長に連絡したら眠そうな声だった。そりゃ寝ちゃうよなと思いつつ食事に行こうと誘う。
ホテルの外にでたら、すっかり夜になっていた。
ロビンソンまでは徒歩で行く。
このロビンソンは「ロビンソンプレース」という呼称があって、ショッピングエリアと住居エリアを備えていた。
住所エリアは現在建設中の建物が多く、完成すると高層建てのコンドミディアムになる。
これはレンタル物件で、どうやら外国人も借りる事が可能らしい。私も場内を歩くたびにパンフレットをもらった。
パンフレットによると、3通りの間取りのタイプがあり、レンタル料は月5000〜10000ペソまでだった。
充分、検討範囲の話だ。
ちなみに、建設中の建物は以前ゴーゴーバーを中心にした風俗店が多数あったらしい。
それらの営業が不許可になってすべて取り壊しになったの事。
どうやらマニラの風俗環境も少しずつ変わりつつあるらしい。
しかし、変えようとする人がいれば、変えようとしない人もいることは自明の理。
おおむね、変える側は体制側なので、変えてしまうと困る民間(ブラックな渡世を含め)は地下に潜っていく。
結果、風俗に危険が伴ってしまう。
ところで、私たちの泊まっているホテルは、カジノが併設されていたり、繁華街に近かったりするのでお客さんの出入りが比較的自由だとはすでにふれた。
日本人観光客の数も多い。
そんな中、私は「うーん」と感じる光景を何度か目撃していた。
そのひとつが、私が勝手に「エレベーター事件」と命名したもの。
ちょっと独白的に・・・
「3人のフィリピーナとエレベーターが一緒になったんです。私は彼女たちをなにげなく観察してました。だって女3人がホテルの21階まで来るってめずらしいでしょ」
「そう、彼女たちも21階で降りたんです。彼女たちが入っていった部屋は、私の部屋からそう離れてはいませんでした」
「彼女たちが部屋に入るときチラッと見えたんですが、部屋に洋服が干してありました」「あれ、この部屋を借りてんるんだ、と若干の違和感を感じたのを覚えています」
「私は部屋での用事を済ませ、ロビーに下りました。もちろんエレベーターを利用しましたよ。エレベーターはいったん19階でとまりました」
「おどろきました。だってさっきの彼女たちが乗ってくるじゃありませんか。それも日本人のおっさんたちといっしょに」
「おっさんたちの衣装は、日本式にいえばステテコに腹巻といういわば下着に類するものでした。それと頭には寝癖がついてました」
「私も、こうゆう事で人の事はいえませんがね、ちょっと目をそむける光景でしたね」
これと同様の状況は何度か目撃した。もっとも、はたから見れば私もなんら変わらなく思われただろう。
さらに、TVニュースが「日本人が未成年者へのレイプで逮捕された」事を報道していた。
まさに「うーん」って話でしょ。

今日の夕食はさんざん迷ったあげく、「フードコート」で済ます事にした。
「フードコート」なんてきどった名前がついてるがようは、いろいろな出店があるスペースの事。
ただ、安い。今まで選択したお店から比べると価格の桁が1つ違う。
私はこうゆう所が大好きだ。
しかし、フィリピンフードが苦手な副長は、食べるものの選択に苦慮した挙句「たこやき」なんか選んでいた。
私は、チキンを中心にした料理を選択。が、注文をKに任せたためまたも大量となった。
一生懸命に食べた。
食事のあと、副長が彼女から頼まれた靴を買いたいという。
通訳にとKを副長へ押し付け私は自分の私物を買いまわる事にする。
だってKが一緒だと費用が倍かかってしまうからね。
私が欲しかったのははシルバーのブレスとリング、それと石を使った装飾品関係。
この頃のマニラは以前のようにゴールド一辺倒ではなくなっている。
なので、私が欲しいと思っているものも様々な選択肢がありそうだ。
たのしく1人でお買い物。シルバーはリングを手に入れ。石の方はあたりだけつけた。
しばらくして副長たちと合流。
副長の彼女ご指定の靴はそうとう高級品らしく「グリーンベルト」とか「マカティ」とかにしか置いてないらしい。
副長はうんざりした顔で「俺は努力した」といっていた。
そのあと、Kが自分も欲しいものがあるといいだした。
欲しいものって私がお金をだすんだろうとはわかっていたが、一応、なにが欲しいのか聞いてやった。
「タイメックス」という時計だという。
どうやらKは、「タイメックスの時計が500ペソ」の看板をどこかで見ていたらしい。
500ペソならとショップに行くと「1つ目は2000ペソ、2つ目が500ペソのサービスキャンペーン」を行っていた。

ところで、換金に関してだが、私たちがマニラにいた間、めずらしく円が少しずつ上がっていた。
到着初日が100円が37ペソ。最終日には100円39ペソになっていた。

私は、別に2000ペソでもよかったがKには黙っていた。
すると、「高いね」とKがいいだし、それならジーンズか良いよといい出した。
フィリピーナってこうゆうときの話の展開がすごくうまいと思っている私は、一種の芸をみせてもらった謝礼としての代価としてジーンズを進呈した。
ジーンズ購入後、さっき私があたりをつけた「石」のお店にもどり無事2本のブレスレットを購入。
交渉役のKは私から100ペソのピアスをせしめ、たくさん買ってくれた御礼にとブッダがくり貫かれているプレートをお店からもらったいた。
無事買い物も終了。
時間を見ると9時だった。
ホテルへ帰りがてらカラオケでも寄って行こうと提案。なぜなら、私には、この近所にガイドブックで紹介されているカラオケ店の知識があったからだ。
しかし、探せど探せど見つからない。
さんざ歩き回って探し当てたは良いものの、お店の業態がカラオケからショーに変わっていた。
前日にショーのお店で苦い思いをしたばかりなので、ちゅうちょしていたらKが「ホテルへの帰り道でカラオケを見た」といいだした。
ちょっと疑いながらも、ホテルに近づくのならとKの先導で移動し始めた。
カラオケは確かにあった。得意げな顔のK。
しかし、看板には日本語で「いらっしゃい」と書いてある。いかにもあやしげな雰囲気をかもし出していた。
きっと、私と副長だけなら遠慮しただろう。
ところがKは入り口にいるスタッフと交渉もせず、ズンズンと店内に入っていく。
しょうがなく、引きずられるように入店した。
さすがに、席につく前に私はお店と交渉をする。
ワンセット1時間で1000ペソを800ペソで、女の子の指名は200ペソで交渉成立。
交渉相手は日本語のうまいママだったがいちいち外にいるオーナーに聞きに行っていた。外で交渉した方が早かったのにと思う。
お店には、私たちも含め4組のお客さんがいて結構盛況だった。
カラオケは日本語と英語それとOPMとに分かれていた。よく見ると韓国語も中国語もあった。
韓国からも中国からも観光客が多いという。
私たちは得意のOPMから入った。
しかし、こちらのOPMは日本のものとテンポが違う。
「ダム」のカラオケ本をみせろと副長が通ぶった要求をする。「ダムの本」が来たがその中にOPMがなかった。
すごく歌いづらい思いをしながら、はんばやけになって歌い続けていた。
私たちが歌っている間、めずらしくKがビールを飲んでいた。
冷たいビールはたいへんおいしかったらしく続けざまに3杯もあおっていた。
ここでもショータイムがあったりしたが、なにしろ朝が早かったし、遊び疲れていたのでそうそうに引き上げる事にした。
お店からでて夜風にあたりながらブラブラと歩く。
危険な思いをしないのは良い事だ。
ホテルへもどりそれぞれの部屋へ。

ところが、Kはそうとう酔っ払っていたらしく、部屋へ帰るなりゲーゲーもどし始めた。
ちょっとかわいそうには思ったが私はTVを見ていた。
一通りもどし終えたKが私の側に来る。
なぐさめのひとことでもかけようとしたとき、なんとKはスニッカーズのチョコバーを食べ始めた。
唖然とする私。
気を取り直し、「今、はいてなかったか」と尋ねると「これはべつ」と訳のわからない答え。
1本を無事完食した。
それを見ていた私が気持ち悪くなる光景だった。
そんな事もあったが私はすぐに眠くなった。KはまだTVを見続けていたがもう起きているのは限界だった。
おやすみ。

1月23日
今日は本当の意味での自由行動日。
やっと、マニラの有名な観光スポットを見てまわる事ができる。
しかし、時間的にすべてをこなすことは不可能なので、イントラムロスを中心に行く事にしよう。
私と副長で朝食のマクドマルドを食べながら話し合った。
ここマクドナルドはホテルのすぐ真向かいにある交差点に面している。人通りも多い。
私たちは窓際の席にすわった。朝の9時だというのに外で小学生くらいの子ども(正確にはガキという方がふさわしい)が2人バトミントンに興じている。
お前ら、学校にも行かせてもらえないのか。

今回Kは、我々の旅行にあわせ、ダバオから来てくれている。
もしKが、ダバオから日本の大阪に来たら私は飛行機に乗ってまで会いに行くだろうか。
多分、行かない。もし、行ったとしても1泊2日が最大限だろう。
もちろん、私とKとは生活環境が違うので単純に比較はできない。
しかし、4泊5日もの間、わざわざ飛行機に乗ってまで来る事は大変だと思う。
これを、ホスピタリティというか、アルバイトというかは意見の分かれるところだろう。
そのKは、ダバオへ帰るため航空チケットを買いに「セブパシヒック・カウンター」に行った。「すぐにもどるよ」とはいっていたがどうだかな。

今日の予定は決まったが、やっぱり通訳がいないと不安な私は(副長はこうゆうとき結構強気で、自分たちだけで大丈夫という事が多い。彼は自分なりの目的が達成されれば満足する性質で、観光地のガイドなんかわずらわしいだけと思っている)午後からの観光にして、午前中は買いぱぐれているものを足すための時間にしようと提案した。
副長も賛成。さっそく、ロビンソンへ。
ところで今回の旅行期間中、私たちは毎日ロビンソンへ行った。それでも全部を見て回れなかった。いつも、出口で迷子になった。
それほどでかいという事で、私たちの方向感覚が悪いという事ではない。

何度めかの換金をする。これで合計7万円分をペソに換えた事になる。
私は、もう特に欲しいものはなかったが、それでもわりと丁寧にお店をみてまわった。
副長は、音楽CDとDVD、それとなんとかというカードを探していた。
何件か見て周り、音楽CDとDVDはゲットしていたが、なんとかカードはそれが置いてありそうな本屋さんや雑貨店の店員さんにさがしてもらっても見つけられなかった、すごく残念そうだった。
そうこうしている内にKから連絡が来た。もうホテルへ帰って来ているとの事。
今、11時だから比較的早く戻ってきたという事になるだろう。
「ホテルへすぐもどるよ」と私はいったが、戻ったのは12時近くになった。
私も、ずいぶんフィリピンナイズされたもんだ。

フィリピンは今まで断続的に外国に占領されていた。
イントラムロスに行くとそれががよくわかる。
イントラムロスはパシグ川の南側に広がる地区で、ここがマニラのもともとの町という。東京でいうと山手線の内側にあたるのだろう。
古い建物と石畳はたぶんにスペイン風ではあるが、太平洋戦争の傷跡もそこかしこに残っている。
町の中は、当たり前に観光客と学校が多いので学生さんが大勢いる。
私たちはタクシーでインストムラルのほぼ中央に位置するカーサ・マニラに向かった。
カーサ・マニラは、19世紀建てられた「コロニアル様式のカーサ(家)」でネオゴシック式を取り入れた空間構成がユニークだと本に書いてある。が、そういうゆことに造詣も興味もない私は1分であきた。
今日は太陽がじりじりとする暑い日だったので、私はかーさ・マニラを見ただけで充分のような気がしていた。
カーサ・マニラの向かいにカレッサが1台たむろして観光客がかかるのを待っていた。
ここのものは、日本語が出来るガイドがセットになっていて、記念写真なぞをサービスの一環として取り入れたりするなかなかの商売熱心だ。
私はこの手のやつにぼられるのは構わないが、ここのは愛想というものが一切なかった。同じぼられるなら笑顔でぼられたいものだ。
しばらく歩いて散策する事にする。
しかし、暑い。数分いや数秒歩いただけで嫌気がさしてきた。
とそこに、白い馬を操るカレッサおじさんが通りかかる。日本語ペラペラで愛想も良い。
「乗りませんか」の誘いに「いくらだい」と答える。
「100ペソ」だという「1人100ペソか3人で100ペソか」と聞くと「1人100ペソ」だという。
歩いて回る事にうんざりしていた私は、いくらでもいいからカレッサに乗るんじゃと思っていたので、あっさりと交渉成立。
いざ、乗り込む際、このおやじ「30分な」といい足しやがった。
その絶妙なタイミングにおもわず感心した私は、通常なら激怒しただろうこの手のごまかしを容認した。
実際、カレッサに乗ってみると、目線が高いし、結構早いし、快適である事は間違いない。
Kも始めて乗ったと大はしゃぎだし、副長もおおむね満足げである。
それでは出発と町並みを見て回る。まずはサンチャゴ要塞からだ。
サンチャゴ要塞は、スペインが作り、イギリス、アメリカそして日本が軍司令部として使用していた。
一度、施設は破壊されたが、復元され現在は公園として開放されている。
サンチャゴ要塞の最高部に上ると、パシグ川を隔てて、チァイナタウンやらトンドなどが見えたりして景色は良い。(見えている場所の治安は悪い)
しかし、収容所あとがあったりする「戦争が生み出したもの」だけに日本人にはいごごちの悪いものだ。
ガイドのおっさんの話もおおむね「日本がした悪い事」が中心になっている。
私は、全然平気だったが、副長のこめかみが段々「ピクピク」し始めた。
さあ、次の場所だ。
ところが、このガイドのおっさん、空気が読めないというか、「ここに機関銃のあとがある」とか「ここは日本軍がいた」とかいちいちカレッサを停めて説明している。
時間を稼ぎたい事は容易に想像できるが、これでは逆効果だろう。「次は砲台を見せる」といい出したガイドのおっさんに副長が「俺はクリスチャンだ。戦争は嫌いだ。教会へ行け」と命令をだした。
なので、最終目的地のマニラ大聖堂へいきなり行く事になる。
マニラ大聖堂はフィリピンでもっとも権威があり、マニラカソリックではもっとも重要とされているものだ。
中に入り、しばしのお祈りタイム。荘厳で、神聖な場所だが、私は、以前のセブで行ったセントニーニョ教会の方が好きだ。
なぜって、マニラ大聖堂はすごく気取っていて気疲れするんだもの。
ここでカレッサとはさよなら。料金は3人で600ペソだった。

お腹がすいたなと思い時計を見ると、午後2時30分。
さっそく、遅めの昼食を取る事にする。
私は、「マックス」に行きたかった。マックスはフィリピン風中華料理のチェーン店で、若干料金設定が高めになっている。
Kに聞くと、マラテ教会の前にあるとの事。タクシーで移動する。
マックスではセット料理を注文した。
ところがKが頼んだもんだから、3人しかいないのに、5人分の量があるのを注文しやがった。
シニガン
チキンの丸焼き
カレカレ
シャンハイルンピア
アドボ
カニン
などが並ぶ。
ちなみに、このセットの料理を全てテーブルに乗せるために私たちは席を移動させられた。
えーん。食べても食べても量が減らないよ。
副長は食べる事すら拒否してるし。
ところが、Kはすごい、ゆっくりゆっくりだが確実に食べ続けている。それを見ていた私の負けず嫌いが発動。こうなれば勝負じゃとは思ったのもつかの間、あっという間の惨敗。まいりました。
さすがに完食とはいかず、残った分はお土産に包んでもらうK。
「それをどうするのか」と聞くと後で食べるとの事。私は「やめろ」といい「それはあそこでゴミのようなお土産ものを売っている彼にあげろ」と指示。
Kは多少おしそうに、お店の外にいたにせお土産やに料理を渡していた。

こうゆう行為(食べ物を見ず知らずの人に渡す)は日本ではまず見られない。もしかしたらマニラでもマナー違反かも知れないが、渡す方も渡される方も笑顔でやれば問題ないと思われる。

マラテ教会は面つらをながめただけ。
これで観光はすべて終わった。
ホテルへ帰る。休憩だ。

ホテルへ帰り、マニラ最後の夜のミーティングを行う。
夕食を昨日約束した日本食とするがお腹がいっぱいの私は、どこのお店にするかまったく頭が動かない。
こうゆう状態(私の頭がうごかず役立たずの)になると副長の出番だ。
さくさくと行動予定を立てていく副長。
すぐにミーティングは終了。
しばしの休憩を部屋で取ってから1時間後にロビーで集合、という事になった。
それぞれの部屋へ戻る。
今日のこの後の行動予定を考えると、今の内に明日の帰国準備をした方が良いと考え荷造りをし始める。
結構、荷物が増えている。
調子に乗って買い物をしていた事が判明する。パンパンに膨れたバッグを見て呆然とした。
約束の時間の少し前にロビーへ下りる。
ここのところ約束時間を守らなくなりつつあった私の時間感覚を元にもどす必要を感じていたからだ。
すぐに副長を合流。
タクシーでSMモールオブエイジア内にある「たなべ」なる日本食レストランへ向かう。
SMモールオブエイジアは、内部がメインモール、ノースウイング、サウスウイング、エンターテイメントの4つの地区と4つの建物に分かれている。
私たちが向かった「たなべ」はエンターテイメントエリアにあった。
ここのエリアはエンターテイメントの名が冠されているだけに、音楽ステージやらアミューズメント施設やらが併設され、レストランも多種多様なものが選択できる。
とはいえ、私たちは今日の観光で見る事と歩く事は充分満たされていたのでまっすぐ「たなべ」へ入店した。
そこそこお客さんがいた。

おさしみの舟盛り
おすし
みそしる
アルコール
を注文した。
正直まずくもなく、でもうまくもない料理だった。
もちろん、違う国で日本と同様の食材や調味料を整える事はすごくたいへんな事だと思う。
長くマニラにいなければならない日本人にとってはありがたいお店なんだとも思う。
しかし、私たちはわずか5日間しか滞在しない観光客だ。なんの意味もないと思っていた。
多分、副長も同じ気持ちだろう。
では、なぜ今日の夕食を日本食にしたのかというと、Kがリクエストしたからだ。
私はKに「日本食ってそんなに好きなの」と聞くと、「始めは食べれなかった」という。
「でも、日本食を食べないと日本人と結婚できないとお客さん(日本のフィリピンパブで働いていたときの)にいわれた」
「最初は食べると気持ち悪くなって吐いたりしたがだんだん慣れた」
との事。
フィリピン料理を何の抵抗もなく最初から食べれた私は幸せ者という事なのかな。
食事を終え、音楽ステージを眺めてみちたりた時間を過ごす。
さあ、もう一軒飲みにいくぞ。
私たちはマニラに着いた日に行ったお店に行く事にした。
マラテのレメディオスサークル近辺はフィリピンパブやカラオケのメッカで色々なお店がしのぎをけずっている。
私と副長だけなら、夜な夜なこの付近を徘徊しただろうと思われる場所だ。
今回は私はKを、副長は彼女の家族をそれぞれ抱えてしまった。
私は今回の旅行の方法があきらかに失敗だった事を感じていた。
次は間違えないようにしよう。
初日に訪れたお店には私のストライクゾーンがいた事はすでにふれた。
実は、副長のストライクゾーンもいたというのだ。
そのときは違うお客さんについていて指名ができなかったらしい。
今日は彼女を指名すると目を輝かせる副長。
この夜を次につなげる夜にしたいものだ。
お店には彼女たちがいた。
しかし、女連れで飲み屋に行くってほんとつまらない。
指名の娘は連れの娘に遠慮する(当たり前、もし遠慮しないと違う問題が勃発する)し、自分も気を使うし、ストレスがたまる一方だ。
まして、副長のにやけた顔を見てると怒りさえ覚える。
そんなこんなの私には長い1セットが終了した。
時間も良いころあいだ。
ホテルへ帰ろう。
と、ホテルへの帰り道、朝食で利用したマクドナルドの前を通った。
なんと、バトミントンの子どもがまだいる。
しかも、まだバトミントンをやっている。
わかった。彼らはフィリピンバトミントン界のオリンピック強化選手なんだ、って事はないか。

すぐに寝るつもりだった。がロビーへ着くと1回もカジノに行っていない事に気づいた。
後学のためにカジノへ行く事にする。
入り口でボディチェック。
副長は半ズボンが不可のため着替える事を要求された。しかたなく、着替えてから再入店する事に。
私とKは持っていた携帯のカメラ部分を封印され、デジカメを取り上げられた。
使うお金を500ペソまでと決めた私はまよわずスロットへ。
まずは500ペソ分をコインへ変える。
最初は自分もやろう思っていたのだが「フィリピーナのギャブル運の強さ」を考えるとプレイはKに任せた方が良いと考え直した。
まったくのビギナーのKはスロットのやり方すらわからなかったが、丁寧に説明し、とりあえずプレイさせ始めた。
とはいっても、スロットなので特別難しい事はない。
コインを入れスタートを押す、これの繰り返しだ。
ところがこのスロットマシーン、若干複雑になっている。
コインを入れスタートを押す事は変わらないが、そろった絵柄をダブルアップする機能がついていて、それがストーリー性のあるRPGのような仕掛けになっていた。
何回目かに指定の絵柄をそろえたK。このRPGにチャレンジする権利を得た。
ところが、このチャンスにKは成功したらしく、当初のコインの5倍まで増やした。
でかい声ではしゃぎまくるK。素直に感心した私。
Kがどうするのかと聞いてくるので、「ギャンブルは持ち金の倍になったときが止め時だ」とアドバイス。
大きくうなずきくK。プレイしはじめて10分で終了。
換金したら500ペソが2500ペソになっていた。
元金も含めすべてKに進呈。
会心の笑顔のK。ほんとよかったネ。
着替えに行った副長とは落ち合えなかったがギャンブル場を用も無いのにふらつく愚はさけ部屋へもどる。
Kと最後のコミュケーションと取る。
2人が恋人なら、今日はベッドでわかれを惜しむシーンだったが、仲の良い友達の私は話しをする事にする。
しばし、さっきのカジノで勝った話で盛り上がる。
考えてみれば、少し前にKがダバオで働いていたバスガイドの給料が1日300ペソ。今日てにした金額が2500ペソ。約8倍ものお金をうすら10分で稼ぎ出したのだ。
そりゃ興奮するわな。
私は「せっかく手にしたお金」を無駄に使わないようにと注意を与え、さらにKが行きたいといっていた日本の農業の学校の費用をあげた。
それで話は終了。
だって、将来とか未来とかもう2人には接点がないと思われたから。
さあ、明日は日本だ。よく寝よう。おやすみ。

1月24日
午後2時50分発フィリピンエアーラインPR432便に乗る。
マニラに到着した際、現地ガイドに「帰る日は午前11時のロビーに集合してください」といわれていた。
朝食をホテル近くのチョーキンで済ませ、時間に余裕をもってロビーに行く。
ロビーでは副長と副長の彼女のお姉さんMがいた。
Kの飛行機は私たちより1時間遅い便。もっとも行き先が違う。
Kはお姉さんMと食事をしてから帰るという。
長いようで短い旅行だったなとか思っていた。
ところが、一緒にチェックインした他のお客さんがなかなかロビーに現れない。
最初は苦笑いだった現地ガイドもだんだんあせりだした。
どうやら、彼らの現地友達(もちろん女)が一緒に空港に行くといい出したためのトラブルらしい。
ガイドの車に一緒に乗るとか、いや乗る余裕が無いとか、ではどうするかとかやり取りをしている。
私たちは所在無くロビーの椅子に座っていた。
と、やにわにKが携帯を私に押し付けた。
なんだと思いつつ携帯にでると「もしもし」と女の声。
誰を思ったら、なんと副長の前の彼女Aだった。
前回のセブでは、私のパートナーがKで副長のパートナーがAだった。
今回の旅行中副長がKに「怒らないから、教えてくれ。Aにはあの時恋人が他にいたのか」と尋ねた事があった。
「うーん、そうだね」とK。「それならそうといえば良いのに」と副長。
そんな事いえるわけないだろうと思う私。
そうはいっても昔の事。食事をしながらの話題の1つとして処理されたいたAをこの期に及んでKが復活させやがった。
すぐに副長と携帯をかわる。
なにやら笑いながら話す副長。度量が大きいのか、感性がずれているのかは分からない。
しばし、みょうな時間が流れる。
走行している間にやっと、彼らの揉め事が解決された。
結局、ガイドの車には私と副長(当たり前)と彼らのうちの2人が乗り、あまった1人と彼らの現地友達2人がタクシーで空港へ行く事になった。
「遅くなりすみません」とあやまられたが、なんとなく事情がわかる私は別に腹も立たなかった。
アキノ空港は外まで搭乗手続きをする人でごった返していた。
2列になった最後尾に並びながら目分量から1時間くらいはかかるだろうと思った。
やっとチケットカウンターにたどり着く。
ところが私たちのすぐ前の2人が飛行機の料金をカードで払おうとしてすごーく手間取っている。
この手の延滞を極端に嫌う副長が周りに聞こえるように文句をいいだした。
しかし、文句をいっても早く処理される事もなく、ずいぶんと待たされやっと搭乗手続きを終える。
すぐさま、イミグレーションに並ぶ

出国カードなるものがくばられそれに必要事項を書き込んでいると(このカードは本当に必要なのかと思ったが、副長がこの手のものは書き込んでおけという)のけぞるようなペアルックを着込んだ韓国人がペンを貸せと寄ってきた。
返してもらえるのか不安だったので私は躊躇していたら、副長が貸していた。
これまた、長い時間列に並びイミグレーションを通過。金属探知機を通る際は靴まで脱がされた。
飛行機出発の時間まであと40分くらいだ。
副長は彼女に頼まれた最後のお土産物のチョコレートケーキを買いに行った。
待合所でサンドイッチの昼食。

あと何時間かすれば私は日本へ帰る。
今回の旅行は何だったろう。Eとの事から始まり、紆余曲折したあげくのKと過ごした数日間。
バカな話だと自分でも思う。
それでも、またマニラには来るだろう。
それも近い内に。
それまでとりあえずさようなら。

「バカは死んでも直らない・・・のか」付録・正副局長対談「夢幻のはて」

ここでは、「バカは死んでも直らない・・・のか」本編で触れられなかった、正副局長の心理を対談方式で記す事にする。
対談者はもちろん近藤と土方。

近藤「今回のマニラはどうでしたか」
土方「どうって、けっこう抽象的な尋ね方だね」
近藤「では、今回の旅行で思い出に残った事はなんですか」
土方「うーん、それは心理的な葛藤かな」
近藤「それこそ、抽象的な表現ですよ」
土方「まあ、早い話、フィリピーナのジェラシーの方向性と彼女たちがいうファミリーに対する認識という事ですよ」
近藤「5日間一緒にいたので、なんとなくいわんとする事はわかりますが・・・」
  「もう少し具体的なお話をお願いします」
土方「実はこの5日間、日本にいる彼女から携帯がなりっぱなしだったんです」 
  「日本にいるときはぜいぜい1日1回だったことを考えると異常な事態なんです」
近藤「それほど、彼女は心配だったと」
土方「そうなんでしよう。もともと今回の訪マニラの話は彼女懐疑的だったし」
近藤「その事については、多少私も悪いと思っている」
  「本来はEに会いに行くはずだったんだから当初の目的が流れた時点で中止の選択もあったんですものね」
土方「それでも強行に実行した。それはそれで私も良いと思った」
近藤「そういってくれると救われますが、副長の彼女は不満だったと」
土方「そうゆう事なんだしょう。結局彼女のファミリーは私がマニラで浮気をしないためのお目付け役だったんです」
近藤「さっき、携帯がなりっぱなしだった、といってましたが」
土方「まあたいへんなもんです。来月の携帯代はいくらになるのか頭が痛いくらい」
近藤「そういば、Kにも彼女のお姉さんからすいぶん連絡がありましたよ」
  「副長が携帯に出ないけど、今いっしょか、って」
土方「そう。それはご迷惑でした」
  「シャワーとかトイレとか、どうしても出れないときやまったく気がつかないときに、彼女のお姉さん経由でKのところへ行ったんだと思います」
近藤「もしかすると、それほど愛されているという事になるのかな。私も旅行中1回だけ副長の彼女と話したけどやっぱりそういっていたし」
土方「そうじゃないでしょう。残念だけど」
近藤「ではどうゆう心理が彼女を支配したと考えますか」
土方「ただ単に、彼女のプライドの問題でしょう。私が他の女と会っていると思うとたまらく嫌だ的なね」
近藤「なるほど。それは充分あります。ところで副長の彼女だけでなくフィリピーナってプライドって言葉よく使いますね」
土方「そうですね。なにをプライドっていうかは私たちにはわからないけど」
近藤「まあプライドの話はややこしいのでおくとして、今回の旅行で彼女に対いして考えが変わったですか」
土方「それはまだわかりませんが・・・」
近藤「この際ですから、私が感じたままをお話しても良いでしょうか」
土方「ぜひお願いします」
近藤「では。まず、副長が副長の彼女の家へ行ったときに感じた話から」
  「家の構造とか場所とかはどうでも良いと思います。私としては副長の彼女のお姉さんたちに対する態度が腑に落ちません」
土方「よくわからないんですが」
近藤「いつもの副長らしくない、というか、例えば彼女の家で出された料理はおいしかったですか」
土方「それほどとは思わなかった」
近藤「そうでしょ。で、そうゆうとき副長は周り関係なく、まずいとかいうでしょ」
土方「それはルール違反だと思うし」
近藤「そうルール違反です。でも、そうゆう我慢は副長はしない」
土方「そりゃそうだけど・・・」
近藤「つまり、彼女の家に行く行為は副長に無理を強いる事だったという事になる。もちろん物理的な興味がある事は分かりますが」 
土方「・・・」
近藤「さらに、彼女の私物を日本にもって行くという事も普段の副長からすると考えられない行為」
土方「それは前もって頼まれていた」
近藤「頼まれてほいほいとやる事ではない」
  「あまつさえ、キャリングバッグを買ってまでね」
土方「それでは、彼女の家には行かない方が良かったのかい」
近藤「良いか悪いかの話ではなく、向くか向かないのかの話だと思う」
土方「そういわれるとよく分かります」
  「私には向かない」
近藤「とはいえ、当初はそれを私がしようとしていた。副長が変わりにしてくれた」
土方「局長も我慢強い方ではないものね」
近藤「その通りです」
土方「そういえば、私も局長にいってなかった事があります」
近藤「え」
土方「局長自身の事ではなくKの事で」
近藤「なに」
土方「私の彼女は局長の彼女であるKにも興味をもっていた」
  「Kがすごくかわいい場合はそれも私の浮気の対象になるという」
近藤「よくわからない理屈ですね」
土方「私も分からない。つまり男はいつでも、誰とでも浮気をする生き物という事と考えているんでしょう」
近藤「うーん」
土方「彼女はお姉さんにKの容姿を尋ねた。お姉さんはKをパゲットと答えた」
近藤「それはすごいね。かわいくないではなくブスだといった」
土方「そうです。そこまでいわないと安心できないらしい」
近藤「たまげた」
土方「どちらにしても、彼女たちフィリピーナのジェラシイは、私たちが気をつけていても爆発するものだという事です」
  「そしてそれを私たちは我慢できない」
近藤「それで、総司がいつもフィリピーナとの生活は2人には向いてないというのか」
土方「総司がいっている事の一部が理解できました」
近藤「そうゆう事ですな」
  「ところで副長がいっていたジェラシーの方向性の話は多少理解しました。もう一つのファミリーの件はどうでしょう」
土方「正確にいうと、もしフィリピーナの家族を抱えたらという話です」
近藤「それは興味深い話です」  
土方「帰国する日にお姉さんがロビーに来たでしょ。あれは電気代を取りに来たんです」
  「まえの夜に彼女が電気代を貸してくれといってきた」
近藤「やっぱりそんな事じゃないかと」
土方「2日目の手間賃はいらないけど、電気代は必要で、さらにちょうだいではなく貸してくれという。返すあてが無いのも知っている」
近藤「それもプライドですか」
土方「そうでしょう。でもいわれた方はなんだと思う」
近藤「それはそうだ」
土方「今回の旅行で、病院をみたり、家に行ったりして彼女たちがいう、たいへんの正体の一部を見た」
  「それを自分なりに咀嚼はできたが、しかし本質は理解できない」
近藤「たいへん、の解決方法が根本から違う。システムの問題も含めて」
土方「そうそれは、もし私たちがフィリピンのパートナーを見つけた場合の対処って話ですよ」
近藤「根本を理解しないヘルプはないという事でもある」
土方「そうです。彼女たちは日本で働きフィリピンの家族をヘルプするという」
  「そのパートナーの私たちはどうすればよいかと」
近藤「もともとの考え方が違うわけで、お金を持っている人が持っていない親族郎党全部を養うのが当たり前の大陸的な考えは私たちには無いものです」
土方「その通りです。私たちは自分の彼女だけに責任を感じる、子どもが出来れば自分のファミリーだけを守る」
近藤「その程度しか収入がないともいえますが」
土方「収入の多寡ではありません」
近藤「考え方の問題ですね」
土方「結局、私たちはそこからは出られない。いうなれば文化の違いかな」
近藤「ちょっと大げさな気もしますが」
土方「大げさでもなんでもない。とても大切な話だと思います」
近藤「ではどうすればよいのでしょう」
土方「どちらにしても、私たちは将来日本とフィリピン両方を生活の場にしたいと思っている」
近藤「そう、さまざまな理由から」
土方「そして、フィリピンで生活するのは現地のパートナーが必要だとも思っている」
近藤「今回のことから考えると現地パートナーは愛や恋を基底にするより、契約という概念を強く押し出したほうが適切という事になるかな」
土方「その考え方も含め、慎重になりましょうという事でしょう」
  「人は変わるのですから」
近藤「分かりました」
土方「ところで、変わるとといえばKはずいぶんと変わりましたね」
近藤「ビックリです。事前の電話ではやせたといっていたのに」
土方「嘘つきですねぇ」
近藤「まったく。根がいい奴だけに残念です」
土方「パートナー候補としては落選でしょうか」
近藤「当たり前です。食べたあと吐いてからチョコレートをまた食べるなんて事はありえない話です」
土方「普段は食べれないものをこの時とばかりがんばった結果でしょう、が強烈ですね」
近藤「多分、Kとはこれで終了です。あとは知りません」
土方「冷たいようですが、当然でしょう」
近藤「今回で、マニラの事情を表面的ですが体験したのは大きな収穫でした」
土方「そう、男同士で来てもなんとかなる」
近藤「でも、ホテルのエレベーターで見たような売春ツアー的な乗りも嫌だ」
土方「そう、私たちはやっている事が同じでも最終目的が違う。いわゆる似て非なる行為だと思う」
近藤「実は今回Eとの事を真剣に考えている事を自分の父親に相談したんです」
  「父は良く見てから決めろといってました」
土方「見る前に結論が出た」
近藤「まったく、先走りしたもんです」
  「それでも、もうフィリピーナなんて信じない、なんてセンチメンタルはわかないしさらに頑張ろうと思う」
土方「当たり前です。自分たちのやってきた事を考えれば、騙されたなんて落ち込んだら、今まで付き合ってきた彼女たちが大挙して抗議に来ますよ」
近藤「そんなにひどかったですか」
土方「局長はひどい。私もですが」
近藤「どちらにしても、もう一回行きましょう。マニラ」
土方「私は3月あたりを考えていますが」
近藤「げっ!」

あいもかわらないおバカな2人組。
はたしてこれからどうなるか自分たちにも分からない。
が、5年後も10年後も同じ事をしていいるだろうな。




 
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