2006年1月セブ島を旅行した時の日記です。
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セブ島見聞録
2006年1月19日。
セブ島へ出発する朝を迎えた。
が、この日までに私は二つの大きな問題を抱えていた。まさに『もんだいある〜』であった。
一つは彼の地で誰と会うべきかという事。副長も私も今までに、次々とパートナーが変っている。新しいパートナーのたびに
『おお、行く行く、フィリピン』、 『案内してよ、騙さないでネ』
などと、しても果たせぬ約束を繰りかえしてきた因果で、いざ実行するにあたり誰を指名してよいか分からなくなってしまっていた。
それでも副長は、セブと言う目的地から一人に絞り込む事が出来た。
私はと言うと、昨年の12月まではMしかいないと考えていたし、Mにもその旨を伝えていた。
が、その後に、Kから突然連絡が来た。Kは副長と私がセブに行く話しを覚えていて、いつ来るのかと問い合わせてきたのだ。
『いつ来るのか』、『ほかの女と会うのか』
と、言われるとつい『1月中だ』、『ほかの女なんかいない』
と答えてしまった。
実を言えば、副長が選んだ彼女とKはお店が一緒で、Kは副長の彼女の姉さん的存在。
当然、副長の彼女からも私に『Kを選んで欲しい』と伝言が入る。
そうは言ってもMには日にちまで伝えてある。どうしょうか、散々に悩んでしまった。
正直、私としてはどちらでもいい気持ちと、どちらとも会いたい気持ちが入り混じってしまっている。
それでは、本当に会える相手を選ぼうと副長に相談すると
『それはどっちも確実に会えるだろう』
と冷静に判断しやがる(失礼)、と貴重なアドバイスをくれた。
それならば副長はどっちがいいと思うと尋ねると
『それは総合的に判断してMだな』と副長の彼女とは別の答えをくれた。
出発の日が刻々と迫る中、私は意を決してMに連絡を取ることにした。
ところが、Mの携帯がつながらない。
Mはもともと電波も届かない山の中の出身で、12月の最後の連絡で
『田舎に帰るから携帯はつながらないよ』
と言っていた。何回も連絡した。(つもりだ)つながらない。
『神様が決めたことだな』と勝手に思う事にした。
後は、Kと本当に会えるかが問題だ。日にちと飛行機とホテル名を教えるために連絡をした。
『本当に来るのか』と念を押され、本当だと答える
『かならず行きます』妙にはっきりと約束をしてくれた。
そうなると不思議なもので、なんだか初めからKに会いに行くはずだったような気がしてきた。
胸ににつかえていたものが無くなった。
自分の事ながらいい加減な男だと思った。
もう一つは1月11日に祖母が亡くなった事。
九十九歳の天寿を真っ当した大往生だった。
通夜並びに告別式の予約をすると一番早くて17・18日しか空いていない。それはなんと出発予定の前日だ。
すぐに副長に連絡をした。副長は夜遅くなのにもかかわらず自宅まで来てくれた。
『ご愁傷様です。ところで中止かい』と聞かれた私は
『ありがとうございます。でも行きたい』などと答えていた。
一瞬、複雑な表情を見せた副長は『少し落ちついたら連絡して』
と思いやりをくれた。その時私は
『ばあさんは俺の出発を見越して逝ってくれたに違いない。その思いやりをムダには出来ない』
と実に不謹慎で不誠実なことを考えていた。
とは言え、まさか自分本位に勝手にいなくなることはさすがの私も出来かねる。
そこで、副長の言う通りしばらく時間を置き、父親と相談することにした。
ところがである。
葬儀というのは実に煩雑で、やらなければならない事が多かった。
実務的な問題と心情的な問題が次から次へと現れ、父親と手分けしてやっと仕事が追いついている感じだ。
それでも私の頭から『セブ行き』は消えない。
『今回行かなくなったら、フィリピンなんて一生行かないよな〜』とか
『キャンセルしてもお金はほとんど戻らないよな〜』とか
『日本は寒くて嫌だな〜』とか
『どうせ、周りには不謹慎でいい加減な男だと思われているよな〜』とか、なんとか行くための理由ばかりが浮かんでくる。
これ以上保留できなくなった私は、お寺との打ち合わせの後、思い切って父親に相談をした。
『旅行、行ってもいいかな』と聞くと
『ああ、いいよ。告別式も終わっているし、丁度良かったじゃないか』と、事も無げに言い放った。
親子だなと思った。
それから私は副長に連絡をし、会う事にした。『行く事にする』
と告げ、後は葬儀に関わるストレス話を聞いてもらった。それから、
『葬儀が終わるまでまでフィリピンに連絡出来ないので変わりにKに伝えて欲しい』と頼んだ。
葬儀はつつがなく終了し、祖母はかの地で待っているであろう祖父の元に旅立って行った。
さあ、私もKが待つセブに旅立とう。
そして、ついにセブ島へ出発する朝を迎えた。
ところで、私のKにはちゃんと連絡がついているのだろうか、と不安に駆られながら副長との待ち合わせ場所に到着すると
副長曰く、『昨日連絡した。Kはもうセブにいるよ』、『もっとも、誰かがKのものまねをしていなければネ』
と早くも誰も信じんゾ、体制に入っている。
まだ、成田にも着いてないうちからと呆れながらも、自然、笑顔がこぼれて来るを禁じえない。
さあ、切符を買おう。電車に乗ろう。待っててネ、フィリピンエアライン!
セブ島見聞録・近藤編VOL2
飛行機の出発は午後2時。
比較的時間に余裕があるのでJRと京成を利用する。成田空港って車で行くとやたら遠く感じるのに、電車だと早い。京成には大きなバックを持ったお客さんがいっぱいだ。なんだか聞きなれない駅を次々を通りすぎて、辺りは一面田園風景に変っていく。空港に近づいている証拠だろう。
ふと気づけば隣の女の子2人組は上海の案内を見ている。前に座っている女の子2人組はヨーロッパらしい。とても微笑ましい情景である。
ところで、当の中年男2人組はセブの夜の案内を声を上げて検討している。
『ゴーゴーバーはさ・・・』とか
『カラオケにはアシスタントする女の子がいて・・・』とか、実に不潔な会話が続く。
ふと、数十年前、まだインターネットがそれほど普及していなかった頃、副長と朝一番で池袋に行き、風俗情報誌を喫茶店でどうどうと開き、あれこれと検討している我々を、まるで虫でも見るような目でみていたウエイトレスを思い出した。副長も私もきっと死ぬまでやる事が変らないだろう。
そうこうしているうちに、成田第二ターミナルに着いた。さあ、飛行機のチケットを貰いに行こう。
颯爽と歩き、申し込んだ旅行代理店カウンターの前に着く。
『お客さまのお荷物にお名前の入ったタグを付けてください』と言われる。
私はすかさず申し込み時に貰った様々な資料の中からとどこうりなくタグを取り出す。
副長はと見ると『無くしたのでもう一枚ちょうだい』
と、さも不機嫌そうに、何の事だ、そんなものは貰ってないと言う顔をしながら要求している。
まあ、いつもの事なので特にふれずに、さくさくと次の手続きに進む。
次は荷物を預ける。
セブはスキューバーダイビングのメッカ。ゴルフ場も多い。
要するにスポーツを楽しみに訪れる人が大半らしい。自然、荷物も大掛かりなものだ。
私たちから見ると、ウンザリするような大きさのものと、私たちのような最低限の大きさのものとを見比べていたら
『目的がちがうな〜』と、感じた。
そう、私たちはどんな理由をつけたとしても、日本で知り合ったフィリピーナを追いかけていく間抜けな日本人なのだ。
『観光しに行きます』とは誰も信じてくれないだろう。
そして最初の小さな問題が起きた。
日本は寒い。私は厚手のジャケットを着ていた。副長は更に厚手のダウンジャケットを着ていた。
セブは暑い。なので今着ているジャケットをコインロッカーに預けるつもりだった。ロッカーの位置も確認出来ていた。
ところが、荷物を預け、昼食を取り、一呼吸いれると確認しておいたロッカーまで行くのが面倒になってしまった。出発ロビーからも遠い。しかたないのでそのまま出発ロビーに入場してしまった。おかげでセブに着いた時、セブ島全部で唯一厚手のジャケットを着こむ二人組の男が誕生してしまう事になる。次があれば気をつけたい。
今の空港はチェックが厳しいと聞いていたので、副長と
『出国手続きでは、ターバンを巻いた奴と黒い肌の奴の後ろには並ばないでおこう』
と申し合わせをしていた。
ところが、と言うか当たり前と言うか、そんな人は一人も見当たらない。
ちょっとがっかりした。
機内では昼食を食べたばかりだと言うのに、すぐに昼食が出た。変な日本語だがしょうがない。
副長はチキン、私はビーフを選んだ。
ビーフも硬くて不味かったが、チキンは輪をかけてとても不味そうに見えた。
副長に聞くと『失敗』とだけ答えた。
付け合せに、そばに似たものと、パンがついていた。私は手もつけなかったが、副長はそばに似たものを半分食した後、パンは非常用にと自分の荷物に忍ばせた。・・副長よ・・・あのパンはどうしたのですか?
行きの所用時間は5時間。タバコが我慢できる限界ぎりぎりと言うところだ。
イヤホーンでOPMや中国語字幕のアメリカ映画を楽しいんでいると、
機内アナウンスがセブに近づいた事を告げた。
機体が緩やかに降下し始め、しだいに翼の下に目的地が見え始める。
到着時間が現地で17時だった事と相まって、夕焼けに染まる島々が私たちを歓迎してくれている。
これからの6日間の充実が約束された気がする。
『ハロー』私は心の中で小さくつぶやいた。
しかし、感傷的な事はほんの一瞬で、私には、わずか5時間で気候が激変する事のほうが信じられなかった。
無事に、(当たり前だが)入国審査を通過し、荷物を受け取り、円をぺソに変え空港の外に一歩出た。
熱い。
汗が吹き出た。
でも、もたもたしていると危ない事に遭遇してしまうかも知れない。
急いで現地案内スタッフを探した。
いた!
それも、個人名を書いた紙を持っている。
どうやら、このツアーの、この出発日は私たち2人だけらしい。
お迎えの日本車に乗り込み、宿泊先に向かう。
思ったよりもスムーズに車が走り出した。
セブ島見聞録・近藤編VOL3
副長はピピと名乗る現地スタッフと英語でやたら話し込んでいる。
ただ、論点は2点で、ホテルはいろいろなものが高いという事と、女は必要かという事だ。
まあ、男2人組が日本から来て、夜やる事といえばそれしかないのかも知れない。
副長が『問題ない。私たちはフィリピンの友達がいる』と、告げると
『その女の子はホテルに来るのか』ピピが尋ねる。
『多分ネ』曖昧に答えると心なしかピピはニヤニヤ笑っていた。
そんなやりとりの最中にも車は順調に進んでいく。
しかし、今どこを走っているのか、ホテルまであとどれくらいなのか、まったく分からない。
出来る事はただ、行きかう風景を見る事だけだ。
ボーっと外を眺めていた私は、さっきからちょっとした違和感を感じていた。
確かに、ジプニーとかトラスクルなどの異質なものは見受けられる。
それらの乗車方法も私には理解出来ない。
しかし、それ以外の道路を走っている車がほとんど日本製なのだ。
見慣れた車種がバンバンと行き交っていると『本当にセブに来たのかな』と感じてしまう。
突然、副長に『こうゆう風景って見覚えがないか』と、尋ねられた。
子どもの頃に見たような気がする、らしい。別に、副長がセブ生まれという訳ではない。
思うに、ホテルに近づくにつれ道路の幅が狭くなってくる。車がすれ違うぎりぎりの幅しかない。
街路灯もまばらな中、相手のとの距離感がつかめない
やたらとクラクションを鳴らしながら、お世辞にも整備されたとは言えない道路をたくさんの乗り物が通る。
その合間をぬうようにして、人がたくさんいる。
あやゆる所で人々が粗末な椅子に座り、集まり話し合い、笑いあう。
かと思えばひたすら表情を変えずに歩いている。その数は半端ではない。
そのせいか、バハイクボと呼ばれる建物が建ぺい率を無視し立ち並ぶ。
サリサリの隣にサリサリがあったり、レストランが1店おきにあったりして競合しあっている。
そしてその建物の大半は平屋建てである。
たまに見かける階層立ての建築物はホテルだったり、病院だったり、学校だったりだ。
多分、私たちが子どもだった時の日本は、夜が暗かった。
それでも、路地路地にたくさんの人々がいた。
建物も低く、空も大きく、星ももっと見えた。
道路もでこぼこで、歩いているすぐ近くを色々な乗り物が行き交っていた。
そんな、記憶がふと蘇ったのかも知れない。
途中コンビニにより飲み物を調達したあと、車はホテルに着いた。
ゲートでチェックされ、ロビーで一服。やっとタバコが吸えた。
ピピがチェックインの手続きをしてくれている最中に、副長の携帯が鳴った。わざわざローミングした副長自慢の逸品だ。
連絡は副長の彼女からで、今空港にいるらしい。すぐにホテルに来るとの事。
ところで、今回、私たちはツインのシングルユースを予約していた。
エキストラゲストのリザーブはホテルには内緒のつもりだった。
しかし、ついさっきゲートで受けたチェックはとてもじゃないが内緒ではクリア出来ない。
いくばくかの出費を覚悟するはめになる。
しばらくの間待っていると彼女たちがゲートに到着したらしい。案の定もめているらしい。
らしい、らしいというのは交渉を副長がしてくれたので私には詳細が分からないのだ。
こうゆう時の副長は実にたのもしい。
私は局長らしく、ソファーにゆったりと腰かけ、ウエルカムドリンクなどを楽しみながらタバコをくゆらせていた。
つまり、なんの役にもたたない。
彼女たちが何箇所かの関門をクリアしてロビーに来た。
わずか数ヶ月離れていただけだが懐かしかった。
と同時に、多数のゲストがロビーに到着した。すべて日本人だ。
『かわいー』『きれー』
などと間違った日本語が充満し、またまた
『ここはどこだ』と混乱し始めた時、すべての交渉をし終えてくれた副長が
『ここにサインをしなさい』と、伝表をもってきてくれた。
『これであなたのKはここに泊まれることになりました』ありがとう副長。
ではと部屋に行こうとしたら『でも私の彼女は食事だけで帰る』と、副長が言う。
なぜ、とは思いながら副長も了承しているようなのであえて訳は聞かなかった。
部屋へ荷物を置き、夕食をとりにホテルのレストランに行く。
メニューを見ると600〜300ぺソの表示が並んでいる。
正確に言えば換金レート100円が43ペソなのだが、ややこしいので私は100円を50ペソで計算することにしていた。
100万円も200万円も使うわけではないので最終的にあわない端数は無視だ。
それに、きっとあまったお金はKにあげてしまうだろうと踏んでいた私は10万円しかもっていないのだ。
ライスをのせた皿が5つ。ビーフンとセットのトーストが2枚。
あいかわらず焼きすぎのステーキ。お馴染みのアドボ。
などなどを注文し4000ペソを支払った。
胃を通り越し、ノドまで食べ物を詰め込んだ私たちは急激に眠くなった。
『明日はSMデパートへ行こう』とあいまいな約束を取り交わしそれぞれの部屋へ引き上げる。
シャワーを浴びKと同じベットにもぐり込むとすぐに眠りについた。
長かった1日がやっと終わった。
満足していた。
セブ島見聞録・近藤編VOL4
1月20日
朝7時に目が覚めた。部屋にはとても古いタイプではあるが、エアコンが設置されていたので目覚めは爽やかだった。
『おはよう』私よりやや遅く目を覚ましたKが言う。なんだか新婚気分だ。
『海を見たい』とKがねだる。勿論、私にも異存はない。すぐに洗面し、外にでる。
昨日は暗くて見えなかったが、ホテルのすぐ前がプライベートビーチになっている。
ホテルの敷地分に区切った堤防が両側に並んでいる。
海は引き潮で、色とりどりの小さなカニが忙しそうに動いている。
『いっぱいなー』とKが言う。
『あなたの家の近くにはいないのか』と尋ねると
『私の家も海の近くだからカニはいっぱいいる。でもみんな食べてしまう』との答え。
大笑いした。
堤防を歩きながら海を眺めていると、現地の人が腰まで水に浸かりながら何かを取っている。
どうやらアクセサリー用にする貝を採っているらしい。
ちょうど海から上がってきた子どもがいたので、持っていたバケツを見せてもらうと、名前は分からないが、巻いているものや白い色をしたものなどが山盛りになっていた。
素直に感心し、さらに堤防の先に進もうとした時、子どもが何か叫んだ。
まったく意味が分からない私は
『この貝かってくれ』とでも言われたかと思った。
無視して一歩踏み出した途端、つるっとすべった。危なく海にダイビングするところだった。
Kは子どもが『その先はあぶないよ』と教えてくれたのにと笑っていた。
そんなこと早く言え!っての。
ふと気づくとホテルのスタッフが近くにきていた。
どうやら私たちがホテルの敷地から出ないように見に来てくれたらしい。
そう、ここは安全をお金で買う国だった。
これからの日々を引き締める必要を改めて感じた。
昨日、食べ過ぎたので朝食はコーヒーだけで充分だった。
一瞬、Kはコーヒーが飲めたのか思い出せなかった。
Mは砂糖とミルクを大量に入れて苦そうに飲んでいたのは記憶にある。え〜とKはどうだったけ。
などと朝から記憶をフル回転させながらレストランに行く。
ここのレストランはオープンテラスになっていて海からの風がとても心地よい。スタッフも笑顔が素敵だ。
その反動で、ずるい自分を見せ付けられた気がした。
どうやらKはコーヒーが飲めたらしい。
付け合せのチョコとクッキーを食べながら店内を見回す。
やっぱりゲストは日本人が多かったと言うより日本人しかいなかった。
私たちが座ったすぐ前には、片言の日本語を使いながら、タマゴを調理しているスタッフがいた。
少し手が空いたようなのでKに、彼女のサラリーを聞いてくれと頼んだ。
Kはすぐに何か話していたが、それも意味が分からない。
自分なりに多少はタガログ語を勉強したつもりだった。
その甲斐があり、話す事は難しかったが聞き取ることには多少の自信があった。
でもまったく分からない。理由は簡単。もっともな事。
彼女たちはセブ語とタガログ語ちゃんぽんで話していたのだ。
ところで、質問のサラリーだが、8時間働いて332ペソ貰っているとの事。
家族を養えないがしょうがないと言っていた。
ここでもやっぱり『しょうがない』だったのは印象的だった。
そうこうしていると、だらっと歩いている副長を発見した。声をかける。
副長の彼女の家はホテルよりもSMデパートの方が近い。ではこちらから出向いてSMデパートで待ち合わせをしよう、ということになった。
私たちのホテルはマクタンの先端に位置しており、何をするにもタクシーを利用しなければいけなかった。
タクシー代はマクタンまで350ペソ、セブシティまで600ペソ。どうやら大分割高らしい。お金をまったく出さないKが怒っていた。
タクシーでセブシティのSMデパートへ向かう。
でかい!
聞くとマニラのそれはもっと大きいらしい。こんなもの維持できるのかしら、と余計な心配をしながら入店する。
ここでも荷物チェックをされた。しかし、ガードマンの多い国だなー。
心配なかった。
まだ昼前だと言うのに人がいっぱいだ。
お客さんもいっぱい、店員もいっぱい。日本のデパートがいかに顧客サービスに手を抜いているか分かった。もっとも人件費が天と地ほど違うのだが。
最初に目に入ったのがギター売り場。副長にも私にも今回の旅行で買うつもりの目当てがいくつかあった。
ギターは副長のリスト。『絶対買う』と高らかに自分に向けて宣言した副長はさっそく物色にかかる。
そんな物はリストにない私は『先にごはんにしよう』
と誘うと、あっさりと副長も同意してくれた。では、何を食べるかと言う事になった。
『ハロハロは外せない』と言い出す副長。なるほどギターを簡単に諦めたのはそんな魂胆があったのか。
感心していると、何とかと言う有名なチャイニーズファーストフードに入っていく。
『ここのハロハロが一番おいしい』と、誰から聞いた情報か分からないが、自信げに言う。
マクドナルドのライスセットにも魅力を感じたが、特に反対する事もなく素直に従う。
ところで、件の『ハロハロ』だが早く言えばただのカキ氷。遅く言っても色んなものが入ってるカキ氷。
ここの一品で副長は満足したらしく以降二度と『ハロハロ』とは口にしなかった。
またもちょっと頼みすぎの品をもてあましていると、副長の彼女が登場した。
次は私のリストを主張した。それは『ベンチ』のアイテム。
『ベンチ』はフィリピン限定のブランドで結構様々な品を扱っている。私はポロシャツとコロンを持っているが、さらにアイテムを増やしたかった。
私がその話をすると女サイドは声をそろえて賛成してくれた。
しかし、副長は『そんなセンスは日本では通用しない』と譲らない。が、
副長のセンスの悪さは前々から知っている。ある時、本人得意げに所持していたバックをそこにいた全員におかしいと指摘された事もあった。
『ベンチ』ショップはすぐに見つかった。私は本当に欲しかったので、シャツ関係から丁寧に見始めた。
人間は何かを見始めると便意をもようするらしい。私はすぐにトイレに行きたくなった。
Kにここから動かないようお願いしてトイレを探す。すぐに見つかったし、大の個室も空いていた。しかし、便座がなかった。
案内文では書いてあったが、見るのは初めてだ。
ちょっと驚きながら、そんな余裕がなくなった私はさっそく用をたすことにした。
案内文には使用方法も書いてあったので、ズボンを下ろし、パンツを下ろし、中腰で事を行った。
まったくスムーズだった。天井の隙間も足元の隙間もまったく気にならなかった。
私の中の日本人がちょっと壊れた瞬間だった。
『ベンチ』ではポロシャツを2枚買った。ついでにKもシャツとローションと何かを買っていた。
Kが買った分は私のそれよりも高かった。
今度は副長のリストのCDを探した。同じデパート内に何店もCD屋がある。
結局どこにも副長希望のものは置いてなかった。
後はつらつらと店内を見て回るつもりだったが、やれネックレスだ、やれシューズだとお金を使われ始めたので早々に店を出る事にした。
いくら1つ1つが安いとはいえ数がいけば高価になる。
早くも私たちはセブの経済感覚を適用することにしていた。
店内を出ると
『友達を呼んでいいか。タクシーの運転手をしている』
と副長の彼女が言い出した。。
おっ、有名な友達攻撃だ、ちょっと嬉しくなった。
副長はふとっ腹なところを見せ
『おお、いいよ』
などと答えている。
疑り深い副長のことだ。きっと色んな事が頭を巡っているんだろう。
それを見ていたらすごく嬉しくなった。
日産サニーのやっと動いているような車に乗り込み、セントニィーニョ教会へ向かう。
教会だけにダウンタウンにあるらしい。周りの風景が明らかに怪しくなった。
着いた、と言われたがタクシーから降りる時少し勇気が必要だった。
すぐに浮浪児に囲まれる。ろうそくを持つ老婆にも囲まれる。
が、私の周りからはすぐにいなくなった。ふと見るとKにはまとわり付いている。
副長の周りにもまとわり付いている。なんだ、私はそんなに貧乏に見えるのか?
とがっかりしているとKが腕を組んできたので私の周りにもまたまとわりが戻ってきた。別に嬉しくもなんとも無いが。
教会はさすがに迫力だった。長い間の人々の祈りが凝縮されている気がした。フレスコ画にも息を呑んだ。
前面を覆う宣教師像にも敬虔さを感じざるを得なかった。
すべてが本物だけが持つ雰囲気だった。『神』が存在することを信じそうになった。
賛美歌と神への感謝を全身で聞いた。心の澱が流れていく、ような錯覚に陥った。
久しぶりに感じる感動だった。
すべてを許す気持ちで、タクシーを待っていた。さっきの浮浪児たちがまた寄ってきた。
今度は落ち着いて彼らを見ることが出来た。目を見た。
すがるような目だった。が卑屈な感じは無かった。
kに聞くと彼らのバックにはマフィアがいるらしい。
あまりのわずらしさで少しでも彼らを怪我させると、それが出てくると言う。
彼らは何のために生まれてきたのだろう。
深く考えてしまうと、自分の価値観が壊されてしまいそうな存在だ。
彼らの目は、そう長くはないだろう一生で変ることはないのだろう。
私たちはマゼランの十字架の前で記念の写真を撮り、そこを後にした。
タクシーはホテルに戻ってきた。ところが、
彼女たちはそのままセブシティに戻ると言う。『すぐに帰るよ』
とKが言い残し副長と私はホテルに残った。
フィリピーナとの約束を基本的に信じていない私たちは、勝手に自分たちの行動予定を立てる事にした。
さすがにホテルから出かける事は避け、夕食はホテルのバーキューを選んだ。
炭火で焼き上げた肉や野菜や魚は美味かった。
ただ、焼き方が日本のように遠赤外線でじっくり、こんがり焼くのではなく、炭火を直接素材につけるのもだった。
思わず炭の使い方を教えたくなった。
ちょっと量が物足りなかったので、続けてフィリピンラーメンなるのもを注文した。
お湯に直接トヨを放り込んだようなスープに副長は『出汁をとれ』
と吐き出していたが、私には美味かった。
私はフィリピン料理がすごく口に合う。本当に美味いと思うものが多い。
バゴーンとかドライフィッシュも結構食べれたりする。
今回も、食べすぎで、胃腸薬は飲んだが腹痛の薬にはお世話にならなかった。
『すぐに帰るよ』が『9時頃になるよ』になり
ホテルのゲートから副長の携帯に連絡があったのは12時を回っていた。
こうゆう時、私は何が何でも怒る事に決めている。
『ふざけるな!約束は9時だろう』『帰れ!もう来なくていい』
と理由も聞かずまくし立てた。
『わかりました』とKの涙声を無視していると、副長の彼女が変って出た。
『クヤ怒ってるの』と澄まし声で聞いてくる。
『もうホテルにいるから会ってよ』と言う。
これ以上のエネルギーが出せない私は
『じゃ、ロビーに行く』と言い、携帯を切った。
結局、この日のエキストラゲスト代を支払いKを泊め、じっくりと言い訳を聴くことにした。
どうやら、日本にいるよりも温厚になりつつある。
しかし、副長の彼女はこの日も泊まらずに帰っていった。
Kの言い訳は、
Kと副長の彼女は同じ店で働いていた。そこにMOという彼女たちのアテ的人がいた。彼女たちが言うにはMOには日本にいる時とても世話になったらしい。
MOは日本人と結婚しており、何時でも日本・フィリピン間を行き来できるが、私たちの訪セブに偶然ぶつかった。
Kは、いつもの『MOには問題ある』
と言い、MOの相談に乗るためとMOの体調が悪く、病院に付き合うためにしかたなかったと言う。
さらにMOが明後日一番の飛行機で日本に帰るまでは一緒にいたいと言う。
私はKに『俺が何しにここに来たのか、わ・か・り・ま・す・か』と尋ねた。
『よくわかるよ、だから頭いたい』とKは自分の髪を引っ張ったりしている。
もうこれ以上のボキャブラリーを持たない私は
『それが分かればいい。明日も出かけていい』と言った。
もう何を言っても繰り返しだなと思ったのと、1日くらいフリーになりたい気持ちから出た結論だったが、そうとは気ずかないKは早くも笑顔が出だした。
今日はもう遅い。明日に備えて寝ることにしよう。それに明日はフリーだ。楽しみだ。
セブ島見聞録・近藤編VOL5
1月21日
セブはこの時期カラッと晴れないのだろうか。今日も雲が厚い。
昨日遅くなったせいか目覚めは8時を大きく回っていた。
Kが起き抜けにTVをつける。
ホテルのTVは通常2チャンネルしか放映していないのに、Kが勝手にフロントと交渉し、ポータブルアンテナなんか取り付けたものだからチャンネル数が飛躍的に増えている。Kに限らず私の知っているフィリピーナはTV好きが多い。暇さえあれば見ている。
しかも、コマーシャル音楽に合わせ踊ったり、ドラマのシーンにいちいち反応したりする。
おかげで、シャンプーのコマーシャル音楽の振り付けを私も1つ覚えた。
『今日は何時に出かけるのか』私の問いに
『夕方から』の答え。
本当かよ、ぜんぜん打ち合わせなんか出来てないじゃないのと思いながらも
『では朝食に行こう』と誘う。
レストランで副長とも待ち合わせバイキングを食す。
旅行申し込み時はあえて朝食をつけないコースを選択した。ところが実際現地に来て見ると周りになーんもお店がない。さすがに歩いてホテルの敷地外に出て命がけで朝食を取るほど勇気はない。
他に選択肢がない。さらに、バイキングも品数が少なく、サラダが別料金だったりするが『しょうがない』である。
ナンダかフィリピンナイズされつつある。
朝食の後、Kの携帯に連絡が入る。『今からみんなと会うよ』
おいおい、ついさっき君は夕方だと言ったばかりではないのかい、という突っ込みはやめ、素直にKを見送る。
『今日は来ないんだね』念を押す。
『今日はMOの家に泊まるよ』安堵する。
タクシー代500ペソを取られる。
午後は、副長とプールで過ごす。副長は肌が弱いらしくしきりと
『紫外線をなめると大変な事になる』と言いながら日焼けクリームを大量に塗りたくっている。
私は日焼けには強いタイプなのでほんの少々塗っただけだった。
しかし、こうして裸にになってみると、副長も私もだらしない腹だ。
それが証拠に、プールで泳いでいると体がどんどん沈んでいく。
『昔水泳部で平泳ぎの選手だった』などとたわけた昔話を副長はしていたが、見る影もない。
これ以上泳いでいると確実に溺れると確信した私は早々にプールからあがり、ボーっとすることに専念し始めた。
後で、トロピカルドリンクでも頼もう。
いいかげんプールに飽きた私たちは、一度部屋へ戻り、シャワーを使い、この後の行動のミーティングを始めた。
どう考えても、あらかじめ計画していたとしか思えないほど副長は知識を持っていた。
副長主体でミーティングが終了した時、私たちの今日のホテルへの帰宅時間が夜中の1時になっていたのにはビックリした。
なにはともあれ決まった事なのでさっそく行動に移す。
最初は夕食をとるため『アントン』なる水上レストランへ向かう。
ホテルのタクシーに乗り込むと、運転手がどこにいくのか尋ねてくる。
『最初はレストランのアントン。次はゴーゴーバーのリトルマーメイド。最後はカラオケのミュージックマシーン』
とメモをみながら淀みなく答えると
『そのコースは安全だ。でも高い』と運転手が言う。続けて
『とくにミュージックマシーンが高い』と言う。
そうゆう事に敏感な私は『ならどこなら安くて安全だ』と聞くと
『たくさんある』と言う。その時副長が
『局長よ、ここは日本とは違うんだから、いつのもノリは勘弁して』釘を刺されてしまった。
そもそも私たちは遊びには危険がつきものだ、という認識が強い。ボッタくられても割と諦めも早い。おかげでしなくてもいい散財やら、ちょっと考えれば回避出来たであろう問題に自分から飛び込んでいく傾向が強い。
フィリピンパブなんてその最たるものの1つだ。
しかし、殴られたりする身体的な危機は本能的に避ける自信がある。
自分の懐以上の危険には敏感に反応出来る。
そうしてここまでやって来たのである。
『ああ、この運転手、私たちをスケベであまい日本人だと思っているな』
『なら、乗ってやれ』
と思いながら色々な話をしていた私たちは最終的に、最後のカラオケだけを運転手お勧めの『XO』なるお店に変更し、全ての移動をこの運転手に委ねる事にした。
ホテルを出る時に予定していた、移動に必要な交通費700ぺソは1250ペソに変更になったが、まあ怖い思いをして街中をうろつく事やメータータクシーを拾う事を考えればましだろうと思う事にした。
『アントン』は素晴らしいレストランだった。
料理も美味しいし、ロケーションも良かった。
なんで男2人組なんだと思った。
『ラプラプ』を中心にお勧めの魚料理と『サンミゲル』を大量に注文した。
『フォークダンス』と『ディュオバンド』を楽しみながら、運河をからの心地よい風に身をまかしていると、ずーとここに住みたくなって来た。
こんな思いは外国を旅していて始めての事だった。
1時間30分たった。
ウエイトレスが迎えの車が着いた事を知らせてくれた。
さあ、ゴーゴーバーへ行こう。
次の目的地は車で5分くらいの所だった。
運転手が、値段は決まっているが入場する際に一応交渉しなさいと注意してくれた。
そうゆう事は副長のテリトリーなのですべてをまかせた。
『ここのママに鼻薬を聞かせた』
・・・どうゆう事がわからない私。
『安全のためにママにビールをおごったのさ』
なるほど。それでさっき『ワイン』とか『ビール』とか言っていたのか。
などと軽いやりとりがあり私たちはゴーゴーバーのシートに座った。
一段と高いステージに1人づつ女の子が現れ、最初は服付きで、次は下着でくねくねとする。
それが終わると次の女の子が同じ事をする。
一回り在籍の女の子が終了すると、あらためてモデリングをする。
お客はそれを見て興味ある女の子を指名し、自分のシート呼ぶ。
ステージに上がらない女の子もいて、それらは店の壁ぎわに座っているがあくまでサポート的存在にしか見えない。
シートに呼んでお話したその先も、もちろんあるだろうが、どう見てもステージに登場する女の子の年齢があやしい。
すごく若いというより幼い。あきらかにローティーンエイジャーだろう。
後から聞いのだがフィリピンでは『未成年への淫行』は『終身刑』らしい。
もともと見るだけと副長と約束していた。
モデリングが終了し、店を後にした。2人で300ペソだった。30分くらいの事だろう。
お店のスタッフが本当に帰るのかという顔をしていた。
副長は28番の札をつけた子がかわいいと言っていた。
あまりにも私たちがお店から早く出てきたので、トラブルかと運転手は思ったらしい。
『問題ない。次へ行こう』と告げる。
10分も車に揺られただろうか。『XO』なるカラオケに着いた。
お客さんは私たちだけ。のっけから『ここで女えらんで、ちかくのラブホテルにいく。しんぱいない』
と、きやがった。こうゆう時の交渉は私の担当。
『ホテルなんかいらん。カラオケだけだ』とはっきり言う。
『ではカラオケのパートナーを選べ』と言うので
『日本語が話せる子だ』『1番のアテと1番のブンソだ』
と条件を出した。『クヤ、わたし、わたし』
と自分を指差す女の子をさりげなくさけ、笑顔のよい3人を選んだ。
お客さん1人2000ペソ、女の子のドリンクは別なるいい加減な申し出をあっさり受け入れた。
思えば、私たちの後に、アメリカ人ぽいお客がガイドを連れて来たが、交渉決裂で帰っていった。私たちが払った料金も相当ふっけけられたものだったに違いない。
やっとカラオケ部屋に移った。ところが、
カラオケ本がわずか10ページ程度しかない。
OPMもない。さらにDJなるものがいて、勝手に音楽を流し、客は知っている曲が始まるとそれに合わせて歌う、システムだった。
実はカラオケ本の番号なんてまったく意味をなさない。
おかげで副長の『長渕のとんぼ』を始めて聞いた。
ところが、いるところにはいるもので、私が選んだ女の子はまったくのストライクゾーン。
年を聞くと18歳と言う。あなたとホテルに行くにはどうすればいいかと、副長が知ったら激怒しそうな話を彼女にそーと話すと
『私にはわからない』と言う。どうやら管理はすべてお店がおこなっているらしい。
『君は俺のタイプだ』などと、副長が聞いたら切りかかる寸前のセリフを吐くと
『どこのホテルにとまってるの』なんてかわいい事を言ってくる。
ふと見ると副長がこちらをじっと見ている。長い付き合いなので私が、あやしげな行動を取り始めたのを察知したらしい。
『飽きた。帰ろう』と副長が言うので、ここも小1時間で出てきた。
帰り際に『社長、本当に女いらないのか』と、聞かれた。
社長なんて言われるのも久しぶりだったし、本当は連れて帰りたかった。
帰宅予定の1時よりも大分早く私たちは無事ホテルに着いた。
副長の部屋で仕上げのビールと反省会を行い、すぐに就寝した。
疲れた。
セブ島見聞録・近藤編VOL6
1月22日
8時30分、ロビーからの連絡で起こされる。Kからだった。
どうやらKは、MOを空港まで送ったその足でホテルに来たが、朝の7時なのでロビーで私が起きるのを待っていたらしい。
健気だと思った。さあ、今日からはKとの日々が再開だ。
今日と明日の分のエキストラゲスト料金を支払い、Kが2日間自由にホテルを行動出来るようにする。
KはホテルにIDカードを取り上げられたり、ゲートを入場するたびにチェックされたりたくさん嫌な思いをしたらしい。
初日にはゲートスタッフと言い争いまでしたらしい。しかしKよ、それはすべてあなたの国の問題なのだよ。
外国人である私たちよりも、現地人であるあなた方のほうが信用がない事をもう少し考え・・・られんだろうな。
Kに昨日は何をしたのかと尋ねた。『空港の近くのホテルに泊まった』
『MOの子どもとメイドと運転手と副長の彼女と私だ』
『じゃんけんで負けた人の顔に、リップスティクで絵を描く遊びをした』『寝られなかった』
『ステーキと海老をたべた』まあ、なんて素敵な1日でしたネ。
昨日言っていた事は1つも入っていないけど。『ねむい』とKが言い出す。
フィリピーナが『寝のは最重要事項である事』は私も知っている。怒る事ではない。
『では、先にごはんを食べ、プールに行っているから起きたら来なさい』と部屋を出た。
副長と朝食を取る。簡単にさっき聞いたKの話を伝えるが、副長は
『へー』と言ったきりだった。そのままプールへ。
プールにもプライベートビーチにも外観を保つために実に大勢のスタッフがいる。
驚いたのは朝から晩までずーと落ち葉を拾う仕事のスタッフがいる事。
槍の様な道具で落ち葉を刺して拾う。もくもくとこなしている。
遣り甲斐のある仕事、なんて言葉は贅沢だ。と少しだけ思った。
そうこうしている内にKが寝起きそのままでプールに来た。
しばらく焦点の定まらない目で座っていた。どうしたのかと聞くと、
『副長の彼女から連絡があった。昼ごろ来る』と言う。
昼頃なんてとっくに過ぎていた。
副長がしきりに周りを気にしている。どうしたのかなと思っていると
『ここでギターを弾いたら迷惑かな』とか言い出す。
実は、副長は2日目にSMデパートでこそギターは買わなかったが、ホテルへ着く前にギター工房により小ぶりのものを1つ手に入れていたのだ。
『大きいものは1500ペソ、小さいものも1500ペソ。ちゃんとした物は5000ペソから』
のセールストーク。『クヤ、それなら大きいが得だよ』
と言われていたが結局、小ぶりを選び購入してたのだ。『ぜひ引きなさい。ぜひ聞きたい』
と調子くれたら、部屋から本当に持ってきた。しばらの間、リサイタルに付き合った。
副長の彼女は3時近くになってやっと来た。
おみやげに『レチョンバボイ』を持ってきた。
意味が分からなかったがありがたく頂いた。明日の昼食にしよう。
それから、今日の夕食についてミーティングが始まった。セブシティに行こうと言う副長の彼女。
案内人としての資質と知識に疑問を持つ私たちは、副長の彼女の意見はまったく無視し、フィリピンレストランに行きたいと主張した。
そこで、ホテルのインフォーメーションに尋ねると『それならアントンです』との答え。
私たちは『アントン』をお魚料理のお店だとばかり思っていたのだが、実はフィリピンレストランだったのだ。
しかし、聞けば、副長の彼女も行った事がないと言う。ぜひ、行きたいと言う。そんなもんなだろう。
『アントン』では『お帰りなさい』と出迎えられた。
どうやら昨日の事を覚えていたらしい。
そう言えば、日本人の2人組は私たちだけだった。あとは団体と現地の人。今思えば変ったお客だったのだろう。
昨日の今日である。『素晴らしい所だろう』
などとどちらが現地人か分からない会話をしつつ、メニューを広げる。
『これは美味いぜ』とか
『同じ素材でも料理方法を変えてみよう』とかまったくの生兵法である。
料理はまたまた美味かった。彼女たちも喜んでいた。
ところがである、頼んだ『魚のかま』を一口食べた副長が
『魚は塩焼きが1番だ』と言い出した。
普段、魚なんか嫌いと言っている男である。骨を取るのが面倒だと言う男である。
まったく信憑性がない。副長の意見はセブの海に流されて行った。
昨日と同じ『フォークダンス』だったが今日は一味違っていた。
なんと、副長が途中でダンスに参加したのだ。
お客さんへのサービスだろう、最後の方に一般参加コーナーがあった。ワンステージ1人様の限定だ。
どうやら副長は昨日もそれを狙っていた節がある。
今日の誘いには一瞬の躊躇も無くステージ上がっていった。
フィリピーナの彼女たちでさえ、はずかしいと言っていたのに。
さすがに志願しただけあり、つつがなくダンスを終えた副長は、妙に満足していた。
『来た甲斐があった』などとほざいている。良かったネ副長。
その後、男1人がギターを持ちステージに立った。
とてもいい声の持ち主で、私たちの席からのリクエストを2曲、20ペソで歌ってもらった。
その後Kが彼を指名したいとたわ言を吐いた。
充分に堪能した私たちは思い残すことなく『アントン』を後にした。
充足した疲労感に包まれた私は、もう充分だったので、ホテルへ帰ることを提案した。
いつもの通り、副長の彼女はここでさよならだった。『明日は泊まるよ』
と副長の彼女は言いながら1人でタクシーに乗り帰って行った。
心なしか、副長の笑顔に優しさが含まれていた。
ホテルに着いた。副長がレストランで飲みなおそうと言う。
あとは寝るだけなので付き合う事にする。Kに選択権はない。
思い切って『テキーラ』を頼んだ。私のやりたいリストに入っていた事だ。
ショットグラスをソルトをなめなめ一気にあおる。
ノドがやける。一気に体に火がつく。男の酒だ。
それを見ていた副長も2杯目からは『テキーラ』にした。
Kが酔っ払いを見る目をしていた。
レストランではやはりディュオが優しい音楽を奏でていた。
ところが『リクエストありますか』
のセリフに猛然と反応した副長は、何を思ったのかつかつかとステージ近寄り、『イエスタディ』を歌いだした。
酔っ払いのわりにはしっかりとした歌だった。『きもちいい』
と言いながらステージから帰ってきた副長は、心から満足した笑顔だった。
続けて、ステージのキーボード奏者が私を指差し
『次はフィリピーノのあなた、どうぞ』などと言いやがる。副長もKも大笑いしている。
歌に関しては丁寧に断り、フィリピーノの件は乱暴に否定した。
そう言えば、『カラオケ』でも、『アントン』でも私はフィリピーノに間違えられたっけ。
足元をとられながらレストランを後にし、部屋に帰った。
何も考えないで寝てしまった。
セブ島見聞録・近藤編VOL7
1月23日
明日の飛行機は早い。実質的には最後の日を迎えた。
今日は副長の彼女もホテルに泊まると言っていた。
きっといい日になるだろう。昨日の酒も残っていない。
さっそく朝食へと向かう。副長はコーヒーとホットドックでいいと言う。
私はライス付きスープを。Kは・・・ステーキなんか頼んでる!
まいりました。
今日は月曜日、朝のロビーには帰国するゲストがごった返している。聞くとはなしに聞いていると大阪弁の方が多かった。大阪への直行便は月曜なのかなどと考えていたら、副長の彼女がひょっこりと顔を出した。
私は一抹の不安を感じていた。それは、副長の彼女の態度である。
ここまでに副長の彼女は、本来のガイド役を1つもしていない。
何となく現れては、何ををするでもなく消えていく。すごく中途半端な存在に私は感じていた。
そして、そうゆう態度を副長はとても嫌う。彼らは彼らで色んな話をしているだろう。
その中で、もしも副長の彼女がソクソク出来ないからとか、アマイアマイ出来ないからガイドだけにして欲しいという話をしているなら問題はない。
しかし、もし彼女がそんな話ははずかしくて出来ていない状態だとまずい事になる。
副長の性格を誰よりも熟知している私は、副長の我慢がそろそろ限界に来ている事に気がついていた。
最悪のシナリオにならない事を祈るばかりだ。
昼はまたもプールに行った。私の胸は真っ赤だった。
多少の痛みは感じたが、見た目ほどではない。今日は彼女たちもプールに入った。
Kはまったく泳げなった。ひと掻きするごとに沈んでいく。しかもご丁寧に水に顔をつけているので必死な形相になる。可愛くておかしかった。
昼食は昨日副長の彼女が買ってきてくれた『レチョンバボイ』で済ます事にする。
一緒に『ちまき』も買ってきてくれたのだがすでに悪くなっていた。あとは2日目に買った『バナナ』というメニュー。
この時も、副長がそれらを手で食べている私をフィリピーノ扱いしていた。
お腹いっぱいになったので『レチョンバボイ』はゴミ箱へ、『バナナ』は落ち葉拾いのスタッフにあげた。
シャワーを浴び、夕食のミーティング。このパターンが日常化しつつある。明日からはまたペースが変る。
順応できるか不安になった。
副長の彼女は、日本にいる副長の弟の嫁さんから頼まれ事があった。
何とかという『サンダル』を買い、副長に持たせて帰らして欲しいというお願いだった。それは未だに未購入だった。
今日が最後のチャンスだとばかりに、それが売っているであろうデパートに行きたいと副長の彼女が言った。
私たちにすれば弟の嫁さんのお願いなんかどうでもよかったが、どちらにしろ夕食を取りに外に出かける。
ではそこに寄って、夕食はその近くで済まそう。という事になった。
そのデパートは古い感じがした。
最初のSMデパートに比べると、照明も暗く、店員の数も少なく感じた。当然お目当ての『サンダル』は置いてなかった。さっそく日本に連絡をし、モノがなかった事を知らせるようとする副長の彼女。たいへんだなーと思いながら見ていたら、Kがシューズ売り場で試し履きなんか始めた。
おいおい、君のものを買いに来たのではないのだよ。が、680ペソもする『サンダル』を買わされた。
てめーいいかげんにしろよ!
デパートの入り口に『ジョリビー』があった。チキンとライスとスパゲッティのセットを食べた。
不味かった。途中、机の上で所持金を数えていたら副長が
『やめなさい。ホールドアッパーが狙ってる』と言う。『ほら見なさい。あの黒い男。なんにも注文しないで1人で座っている』
『彼は私たちが店を出るのを待っている』と言う。
それはさすがにないだろうと思っていた私は、それでも念のためその黒い男を注視していた。
確かにじっと1人座っている。がしばらくすると、隣に座っていたのであろう家族のため、飲み物やら注文したものを運び出した。
『あれをどう説明するのだね』と副長に問うと、やにわに笑い出し
『そう見えた』だと。
夕食がしょぼかったので、もう1店遊びに行く事にした。最初、副長の彼女は『シヨー』を見るかと聞く。
どんな『ショー』なのかと尋ねると女の子が裸で踊るものだと言う。
私はKの目が光ったような気がした。『裸ならKで充分だ』
と、本当はちょっと行きたかったのだが予防線を張った。
なら、『カラオケ』に行くかと副長の彼女が聞く。もう行ったよ、とは言えない私たちは
『行ってもいいよ』とはっきりしない答え。『カラオケには女がいて、指名するんだよ』
とKが探るような顔で聞いてくる。それも知ってるよ、とも言えない私たち。『へーそうなんだ』
などと間抜けな事を言っている。では行ってみようと2度目の『カラオケ』へ。
途中、タクシーの中でKがやたらと体をくっつけてくる。
『あなたは日本にいる時はほとんどアマイアマイをしなかったのに、変ったのか』
と尋ねるが、Kは何も答えない。そのうちに寝始めるK。
なんだアマイアマイではなくて眠たかっただけか。
トホホ。
『カラオケ』は女連れにも関わらす、やっぱりアシスタントを指名した。仕切りは全て副長の彼女だったが、料金システムがまったく分からなかった。
私たちは1人2000ペソしか支払わないと宣言しておいた。
副長組のアシスタントは日本の群馬に行った事があると言う。
私たち組のアシスタントは日本には行った事がないが行きたいと言う。
アシスタント組はKと副長の彼女を本当にうらやましいと言っていた。お世辞には聞こえなかった。
そして、Kと副長の彼女の顔は優越感にあふれているような気がした。
ここの『カラオケ』はこの前行った所より数倍上等だった。
歌いたい曲の番号も有効だった。歌詞にやたら難しい漢字が多いと思ったら、経営者が中国人なので、機械が中国製だとの事。
さすが世界の『カラオケ』たいしたものだ。
そしてこの前の所がいわゆる、売春目的の場所だったと改めて確信した。
もっとも、入場した際にそうはっきりそう言っていたのだが。
2時間に少しかけるくらいで店を出た。店の前にはお馴染みのガードマンがいたが、ここのはショットガンなんか持っていた。
あんなものを至近距離でやられたら肉片に変えられてしまうだろう。
『すごいね、それ』と言ったら、にこにこ笑いながら触らせてくれた。
彼らはその時、ためらわずに打つだろう事を確信した。
外は雨が降っていた。
このままホテルに帰るのかと思っていると、副長の彼女が運転手となにやら交渉し始めた。
『ホテルまで400ペソでいいか』と副長の彼女が言うのでもちろんとOKしたら
『私はちょっとだけ家に寄ってから行く』と言い出す。
気まずい雰囲気の中、すぐに副長の彼女の家に続く路地についた。すぐにタクシーを降り、走り出す。
Kが『あぶない所なので家まで走るのよ』
と、そっと教えてくれた。副長はさっきから口を閉ざしたままだった。
帰国の準備もあるので、それぞれの部屋に別れた。
私はKに思い切って聞いてみた。
『副長の彼女はなにを考えているのか』
『副長がかわいそうだろう』と、言うと
『私もそう思うけど、そうゆうプライベートな事は話し合った事がない』と言う。
そう言われてしまえばその先が続かない。
釈然としないまま、明日の荷物を整理する。
ふと、私とKも今日が最後だった事に気づいた。
話したい事もあったような気がしたが、今となっては何も思い浮かばない。
あと、1週間いや3日ここにいたら、きっと日本に帰らなくなってしまう。
セブが大好きか、と言えばちょっと違う。
Kを心から愛しているのか、と言ってもちょっと違う。
言葉では表現できないが確実に衷心からのメッセージがある。
きっと、この6日間を私はきっと忘れないだろう。来てよかったと思った。
が、もし相手がMだったらと同時に思った。
『男はパルパロだから』誰が言い出したかは分からないが、神の言葉にもっとも近いのではないだろうか。
明日の今頃はもう日本だ。雪が降ったり、Hさんが捕まったりして大変らしい。
私も日本人に戻ろう。
セブ島見聞録・近藤編VOL8
1月24日
朝4時に起こされる。いくら飛行機の時間に余裕がないとはいえ、早すぎだ。
Kの携帯がなる。副長の彼女からだったらしい。Kがすぐに私に携帯を押し付ける。
『ホテル行きたかった』『タクシーが、昨日は雨だったのでここのホテルまで行ってくれなかった』
『クヤが怒っている』副長の彼女に一方的にまくし立てられた。寝起きの頭では理解できない。
携帯をKに返し、引き込まれそうになる睡魔と戦いながらなんとか目をさまそうと努力した。
訳のわからないままボーっとしていると今度は部屋のチャイムがなった。
冷蔵庫のチェックだと言う。時間は4時30分だった。
確か、ホテル出発は5時30分だったはずだ。なんでこんな時だけ急に周りのペースが上がるのか。
それなら日ごろからそのペースやりやがれ!と心で毒づきながら荷物のジッパーを閉じた。
ロビーには人が溢れていた。今日、帰国の人たちだった。
早く起こされた理由が分かった。しかし、日本のホテルなら決してロビーカウンターが混乱するような人数ではない。
チェックアウトをすると、余分に16000円取られた。日本円でもよいがおつりはペソでしか出ないと言う。
昨日の『カラオケ』で副長に借りていた1300ペソを払い、空港利用税の550ペソだけを残し、あとはKに渡した。
所持金は3000円くらいしかなかった。
レストランで副長たちが話をしていた。
近寄れない。
ロビーで待つ事にした。
帰りは旅行代理店の現地スタッフが来てくれた。Kが空港まで送ると言う。
現地スタッフが車に余分に乗るスペースがないと説明する。食い下がるK。
『ここでさよならだ』私は、いつまでも続きそうな交渉にピリオドをうった。
『連絡する』
『元気で』
とホテルのロビーで別れた。
副長はやっぱり一言も口をきかなかった。
空港に着く。現地スタッフが見送ってくれた。7時50分発のフィリピンエアーライン。
もう4時間もすれば日本に戻る。最後の最後で副長にはアクシデントがあった、かも知れない。
それは、日本に戻ってからゆっくりと聞く事にしよう。
また来たいか、と問われるなら、
『必ず』と答える。
また来るのか、と問われるなら、
『チャンスがあれば』と答える。
誰といっしょなのか、と問われるなら、
『副長と』と答える。
その時は誰に会いに行くのか、と問われてしまうと
『その時に決める』としか答えられない。
愛しているよ。
フィリピン。
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